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天声JINGO アーカイブ

2014年度4月〜

2014.4.6「善いサマリヤ人」

 

 先週の聖日は、教会創立20周年記念事業の一環として、「3.11東日本大震災被災地支援チャリティー賛美礼拝」を献げた。生憎の荒天で、会衆の出足が悪かったことが悔やまれたが、ご家族でいらした方が多く、早島万紀子さんの演奏に、幼児や子供たちが聞き入っていた姿が印象的だった。主の受難節ということも相まって、奏楽者の選曲はすべてバッハに統一されていた。早島さんは、久しぶりのこのオルガンでの奏楽に、前日より熱心に練習を重ねて下さり、当日は彼女も驚かれた程オルガンがよく鳴り、多めの演奏時間となったが、参列者一同感動に包まれていた。

 宣教は15分であった。ルカによる福音書10章25〜37節の有名な主の譬え話し「善いサマリ人」を用いさせてもらった。以下に要約する。

 3.11大震災の被災者への同情は、3年を経た今なお、国民のみならず世界中が持ち続けているが、次第に風化して行く感は拭い得ない。また政府など行政における復興の実体は遅々たるもので、莫大な復興予算は大半が未執行であり、被災者個々への支援は無きにも等しいのが現実である。特に弱者切り捨てというべき現実が、次第に浮き彫りにされてきている。また原発事故により、原発行政や大企業の横暴、傲慢さが露わにされたが、次第に再び原発安全神話が復活し始めており、我々はどうこの事故とその後の事態を受け止めるべきか、どうしたら良いのかと混乱してしまっている。

 そんな我々に「善いサマリヤ人」は新しい視点を示してくれているのではないだろうか。それは、強盗に襲われ半殺しにされ倒れている人の苦しむ姿には、主イエスの受難の姿があり、その善い隣人となったサマリヤ人の行為には、被害者を最後まで面倒見続ける、慈しみに満ちた主イエスの姿があるのではないかということである。教団長田センターの活動は、そのような「善きサマリヤ人」たらんと、十字架で苦しむ主といつまでも共にありつづける真の教会の姿を追い求める貴重な試金石といえる。我々のあらゆる痛み苦しむ者への希望の光であり、祝福の源となられた主を賛美しよう。

 

2014.4.13「御受難の主」

 

 本日は棕梠の主日といって、マルコ福音書では、ガリラヤ地方から出たことのなかったイエスが、初めてエルサレムに入った日とされている。人々は棕梠の葉を敷いて「ホサナ。主の名によって来られる方に。」と歓呼して迎えた(11:9)。しかし、その同じ人々が、週の後半ピラトの裁判の時には、「イエスを十字架にかけろ」と叫ぶのである(15:13)。人々だけではなく、主イエスの弟子たちも裏切っていくのである。

 弟子の一人であるユダの裏切りの最中、主イエスは、弟子たちとの最後の晩餐に臨まれる。その席上で、裂かれるパンと配られるブドウ酒をもって、十字架で殺されるご自分を暗示し、その意義は、多くの人々との契約の徴とされた。ご自分を憎み、裏切り、排除し、殺すものの逆手をとって、彼らの救いのための保障としているのである。そのような食卓に招かれるのに、今日、だれが相応しということが出来るであろうか、だれも値しないのだ。ただただ、主の忍耐とご慈愛による招きに依るしかないのだ。

 話は変わるが、一番最近の「教団新報」に目が引かれた。そこに教団常議委員会の「原始力発電所の廃止を求める声明」があったからだ。廃止を求めるその理由は、聖書の創造主の創造の秩序に反するからという趣旨のものであった。私が驚いたのは、そんなまともな発言をしたからである。同新報の1面〜3面には、教団が主催して開催した「東日本大震災国際会議」の詳細な報告がなされていた。これらの現実から目を背けることが出来なくなったことから、原発問題も直視せざるを得なくなったのだと思う。

 主は、エルサレム入場後一番初めに、神殿から商人を追い出し、祭司長や律法学者を批判し、そして神殿の崩壊の予告までもされた。それが十字架への受難の道となったのだ。

 今回の教団常議員会声明は、この世の権威者たちへの危険な挑戦状である。「ホサナ、ダビデの子」と世論が盛り上がっているうちはよいが、世論は急速にしぼんでいくこともある。その時にこそ、御受難の主と共に歩んで行くキリスト者の姿であり続けたい。

 

2014.4.20「復活の朝」

 

主イエス・キリストの復活ハレルヤ!

復活の主に一番初めに会った人はだれかというと、各福音書ともに女の人たちだったと証言しています。ヨハネ福音書だけはマグダラのマリアひとりだけです。いずれにしても女性であったということです。イエス様の時代は男性社会だったので、女性はどうしても脇役的存在で、福音書の物語でも男性の12弟子が際立っているのです。しかし受難物語では、イエス様の十字架の場面でも男性の弟子たちがことごとく逃げ去っていたのにくらべて、女性のお弟子たちは、遠くからではあっても「見守っていた」(マルコ15:40)とあります。

女性の存在なくして、主の十字架の死と復活の証言、つまり宣教はあり得なかったのです。社会的な地位の低さゆえに女性が主に顧みられたということは、そのまま現在の私たちの時代とその社会にもあてはまるのではないでしょうか。この世の低きにおいて出会える復活の主なのです。

 

 そんな女性たちは、主が十字架で死に墓に葬られたときも、そこに同席して居た(マルコ15:47)。どうすることも出来ず、ただただ亡骸に寄り添うしかない無力な、嘆き悲しむばかりの女性たちの姿であります。彼女たちは、安息日が終わった翌日の早朝墓にかけつています( マルコ16:2)。勿論復活などという話は、ほんの少しも思いの中には無かったでしょう。ごく普通の弔いの用意をしているからです。墓の入り口の石をどうやってどけるのかという算段もなく、ただただ駆けつけています。男たちは何をしていたのでしょうか。そんな女性たちではあったけれど、そこに行ったからこそ、主の復活の証人となったのですね。この世の強者によって、貧しくされ、弱くされ、罪人とされ、無駄な死を強いられたものが葬られた墓に、佇しかなかった者に生きる希望を見いだせてくれたのです。しかし彼女たちは、恐ろしさの故に、震え上がり正気を失ってしまいます。復活とはほんとうに衝撃的なことであったことが知れます。やがて彼女たちの希望は、辺境の地、しかしイエスと確かに生きたガリララへと続くのであります。

 

2014.4.27「Easter」

 

先週のイースター愛餐会で私は「Easter」の語源について皆さんに問うた。東(east)は太陽の出る方向という意味ではないかという答えが有力だった。 私は、確かにマタイ福音書のクリスマスでは、「東の方」から占星術の学者がエルサレムに来ている(マタイ2:1)、だから「east」は方向を意味すると述べた。つまり神から人、人から神への方向づけである。マルコ福音書では、それが主イエス歩みにも示され、ガリラヤからエルサレムへ、そして再びガリラヤへと、主の復活の方向づけであると述べた。

しかし「Easter」そのものの語源となると怪しいので、インターネットで調べてみた。それによると、古い英語では「イースタ―ダック」「イーアストレ」「エーオストレ」、太古のゲルマンでは「オーストロン」と呼ばれていたことに由来すると言う。おそらく元々は春分の日を祝っていた夜明けに由来し、それをキリスト教会が採用したのだろうという事だ。そして近隣の多くの言語は、ラテン語の「パスカ(過ぎ越しの祭り)」を復活祭に使用しているとあった。

いずれにしても、この「イースター」という言葉の変遷をたどれば辿る程、古来から人類が求めてきた真の救いの希望の集大成というか、到達点がナザレのイエスによって引き起こされた復活という出来事に完結したことが頷けるのである。

 アートバイブルでおなじみの町田俊之さんが、『名画とあらすじで分かる!旧約聖書』(新書版)の序論で、氾濫する情報化時代にあって将来を知ることは難しく、そのためにはこの世界の最初を知ることが大切である、と述べていることが印象的であった。つまり、的確にゴールを目指すためには、出発点をはっきりとさせることが将来を知ることにつながるだろうというのだ。そして彼は、世界のはじまりを知るには、世界のベストセラーであり、最も古い書物である『聖書』、とりわけ「旧約聖書」の「創世記」の天地の創造物語は重要だとも述べている。

 イースターは、聖書の初めから終わりまでを貫いている芯であり、これからも人類を導く確かな道筋であるのだ。

 

2014.5.11「約束の」

 

父守臣は去年3月3日に101才で長寿を全うして天に召されたので、6年前の5月に先立った母睦子と合同の記念会を5月5日(月)に親族、内輪だけで行った。父も母も親族に対して生前よく世話をしていたこともあり、実に多勢が全国より集い、牧師館、ゲストハウス、山本家などに2日より6日まで寝泊まりをしていった。5日の式には実に34名(子供5名、孫10名、曾孫10名、子供と孫の家族、その親族など9名)が集い、さながらアブラハムの子孫といったところであった。 

父が引退後に故郷軽井沢に拘ったのは、旧道の実家が長きにわたって、親族一同が夏などに気軽に帰ってこられる場所であった事が大きかったのであろうと思う。私の祖母とその妹の永井せいさんが世話をしてくれていた。私自身も産まれてすぐに疎開をしていたし、夏休みなどには必ず逗留してお世話になっていたので、避暑地というより故郷という意識が強かった。だから父にしてみても同じ思いだったのだろう。祖母が亡くなってから母屋の方は、相続をした父の兄の家族が売却していた。相続を放棄した父は、その後たまたま裏手の僅かな土地を親戚から譲り受け、休暇などに使っていた。引退してから、ここ追分の地に移り住んだ頃に言っていたことは、先祖伝来の土地なのだから、これからの子孫のためにも軽井沢に故郷を遺しておくのだということであった。

私は今回、記念会とはいえ、多くの子孫がここに集められたことに大きな意義を感じた。教会という形で遺されたのは、親族だけでなく、いろいろな人々が集い安らぐ場所として、いわばアブラハムが安住の地としてたどり着いた「カナン」の地であるということだろう。そのことを今回集まった子孫たちが、確認できたことが良かったと思った。

アブラハムがたどり着いた約束の地カナン(パレスチナ)は、ヘブロンであったが、決してそこはこの世の楽天地ではなかった。荒れ地であり、他民族との共存が求められた寄留値地であった(創世記18〜25章)。

彼は生涯神の約束の地を求めた旅人であった。その事自体に、安住の地が備えられていたのではないだろうか。つまり主と共に生きること自体に隠されていたのだ。

 

2014.5.18「歴史認識」

 

安倍総理の「歴史認識」が問題視されて久しい。彼はあの戦争は間違っていなかった正しい戦争だったと考えているのだが、わが教団では「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」を宣言し、その中ではっきりとあの戦争は間違っていて、その戦争に加担したことを悔い改めている。ここに両者の間には正反対の「歴史認識」があるのだ。ではどのようにしたら正しい「歴史認識」が得られるのだろうか。その一つとしては、事実に基づいた歴史の検証が必要だろう。戦争なのだからその当事者同士が共同でなすべきだと思う。また「証人の証言」も多く聴取する必要があると思う。それにしても安倍総理が求める研究や意見には、あまりにも偏よった人脈が目立つ。

それはさておき、「歴史認識」は聖書においても重要な要素を持っている。現在金曜日の「聖書を学ぶ会」では旧約の出エジプト記を読み合わせている、ちょうど20章21章を読み終えたところだ。そこは出エジプト記の中核をなす「過ぎ越し」の場面で、ここでは信仰の世界においても「歴史認識」がいかに重要かということを学んだのである。

「過ぎ越し」は、いよいよイスラエルがエジプトを脱出する際、神がモーセを通して、イスラエルの解放をしぶるエジプト王パロに対して行った災いの最後の場面である。イスラエルの家々の門に、子羊の血を塗っておけば、イスラエルは難を逃れるという有名な話である。この「過ぎ越しの掟」は、単に一民族の解放の物語に留まらない。エジプトが肉の世界、滅び行く古い人間を意味し、古い人間からの新しい人間へと解放されるためには子羊の血が欠かせない、つまり神の加護なくしてはあり得ない解放劇であったということが、聖書の民イスラエルの「歴史認識」の根幹なのだ。

そのことは今の時代の私たちにとっても、単に史実がどうであったかということ以上に、自分たちのみならず、相手の人々や周囲の国々の人々が、その戦争によりどのように苦しんだか、何をそこで学んだのか、自由と平和への思いをどのように抱いたのかを汲み取ってこそ正しい「歴史認識」となっていくのではないかと教えられた次第です。

→次週に続きます。

 

2014.5.25「歴史認識2」

 

先週は「歴史認識」ということについて、その事実関係をより正確に認識するにとどまらず、そこから学んだこと、つまり反省や自戒、悔い改め、決意などを認め、それを繰り返し反芻し、その歴史を生きたものとして継承していくために、旧約聖書ではイスラエルの民が「過ぎ越しの祭り規定」を決めて守り続けて来た事を述べた。

そのような「過ぎ越しの祭り」と、その他「十戒」やもろもろの律法を、神の戒めとして守り続けてきたイスラエルではあったが、イエスの時代には、律法は形骸化し、本来の意味が置き去りにされ、権力者たちの自己保身の道具とされ、彼らが神に替わって人々を裁く錦の御旗としてしまっていた。イエスはそのように堕落してしまった信仰者を「律法主義者」と糾弾したのではなかっただろうか。

イエスは「律法」のもつ本来の姿にたちもどることを望んだに違いない。例えばイエスの弟子たちが、安息日に麦の穂を摘んで食べたことを律法違反として律法学者に非難されたときに「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。」(マルコ2:27)と反論している。また、昔の人の言い伝えを守らないイエスの弟子たちを目撃し、イエスを非難する彼らに「あなたたちは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている」(マルコ7:8)と、逆に彼らの不信仰を厳しく糾弾している。

「過ぎ越しの祭り」に凝縮される律法の精神、神の愛の現実を、イエスは自らの身をもって更新したのだ。それは「十字架」の恩寵であることはいうまでもないことだろう。

戦争などの負の歴史に神(天)の裁きを受け、同時に神(天)の赦しと再生を見る時に、その「歴史認識」は生きた真正なものとなり、継承し続けるに値する輝きが与えられるのではないだろうか。だからこそ、憲法9条は、民族、国境、宗教や思想さえも超えて万民から愛されるような世界の宝とも言えるのだ。

日本はあの戦争ですべを失ったが、この得難い尊い宝を手に入れた。しかし、今手にしている「富」を守るのに汲々とし、自己保身ばかりを計ると、それを失うことになるだろう。子孫と世界のために決して失うまい。

 

2014.6.1「ペンテコステ」

 

次週はペンテコステ(聖霊降臨日)。ペンテコステとは古代ギリシャ語で五旬節と言われている。ユダヤでは大麦の初穂を献げる日から50日目にあたる祭り(レビ記23:16)であった。キリスト教ではこの日を聖霊降臨日とし、祝う。聖霊降臨は第一に神の救いの完結を意味し、第二には、ユダヤ人以外の者への救いの開始を意味している(岩波キリスト教辞典)。

使徒言行録2章に聖霊降臨の模様が描かれている。その特長は激しい風の音、炎のような舌。ヘブル語で「風」は「霊」とも訳せる。「舌」は「言」を意味する。創世記で神は「言」で天地創造をされている。ヨハネ福音書で神は「言」であった。

この「聖霊」が、死から復活し、昇天されたイエスの約束した贈り物であった(使徒1:3〜4)。新約時代の始まりであった。

新約時代の大きな特長は、聖霊を受けた弟子たちは、あらゆる国の言葉で語りだしたことである(使徒2:5〜11)。今までのユダヤ人の信仰は民族主義的なものであったのだが、この時点から全ての諸国民、全人類のものとなったのだ。

またペンテコステは「教会」の誕生日とも言われている。「教会」は自己目的化や選民意識を抱かず、いろいろな色が織りなすところなのだ。

今期、教区総会への教団議長の短い挨拶文には「一致」「一体」という言葉が頻繁に使用されていたが、それは合同教会である教団としては、人間の言葉の一致をあまりにも求め過ぎているように思えてならなかった。私たちの「一致」は、神からの「聖霊」によって促されて、それぞれの「言語」をもって、同じ神を証し、賛美するという一点での一致あるのみであるはずである。このような全く新しい命の息吹をもたらしてくれたイエスは、「子ども」を受け入れ、祝福するところに「神の国」があると教えている(マルコ10:13〜16)。「子ども」とは弱く、貧しく、小さく、未成熟、保護を必要とするような存在の事だ。

「子どものように神の国を受入れる人」(マルコ10:15)とは、サンタクロースの存在を心底信じることの出来る無垢な心の持ち主?他者に全てを委ねるしか選択肢のないような状態の人?「自分はそのまんまでいいんだ」って開き直らせてくれたのが聖霊降臨なのかも。

 

2014.6.15[聖霊考」

 

先週は聖霊降臨日(ペンテコステ)で、これからは聖霊降臨節として10月19日の降誕前第9主日まで20週続きます。今の教会暦では、待降節/降誕節、受難節、聖霊降臨節とあり、聖霊降臨節が一番長いのです。しかしクリスマスの出来事で「母マリアは(—略—)聖霊によって身ごもっていることが明らかになった」(マタイ1:18b)とありますし、夢での天使のお告げとして、イエスの父ヨセフもそのことを知り(同20)、東方からの占星術の学者たちは星の導きと夢でのお告げによって行動しています(同2:9、12)。成人したイエスが、バプテスマのヨハネから洗礼を受けた時、彼の上に天から「霊」が下ってきて留まったとあります(マタイ3:16)。そのようにすべてが「聖霊」によって支配されているのが聖書なのです。

旧約では創世記の天地創造物語でもそうです。「神の霊が水の面を動いていた」(創世記1:2b)。人間創造でも「その鼻に命の息を吹き入れられた」(同2:7b)と書かれています。「命の息」の「息」はヘブル語で「ルーアッハ」と言い、「霊」とも「風」とも訳せる言葉です。そのように「聖霊」は、人間を生かすすべてのものの源であるのです。

では、今日私たちはどのようにしてこの「聖霊」を見、感じ、知ることが出来るのでしょうか。私は次のように思っています。人が無意識に空気(酸素)を吸って生きているように、神の命の息である聖霊も、だれにも分け隔てなく、しかも寝ても覚めても途切れることなく、天から供給し続けられているのだと信じています。

つまり神の意志がちゃんと私たちに伝えられているのです。いわば無線のようなもので、要は受ける側の私たちが周波数をちゃんと合わせるかどうかだと思います。かすかに聞こえてくる聖霊の響きにぴたっと合わせる意志の問題ではないでしょうか。私達は何が善であり何が悪であるかは、大抵の場合判断できるのではないでしょうか。それなのに、この世の損得、見栄や面子などで、善を斥けてしまう。そんな癖がついてしまうと、無意識のうちに善を斥けてしまうようになるのだと思います。

教会はそのように固く鈍くなった私たちの心を揉み解すリハビリセンターのようなものでもあるのです。

 

2014.6.22「讃美歌考」

 

今年2月11日に出版された『戦時下の教会が生んだ讃美歌』日本キリスト改革派教会の石丸新牧師著(いのちのことば社)を、先日静岡聖文舎の巡回販売の時に目にとまったので購入した。私が生まれたときから聞き慣れていた讃美歌は1931年版のものであっただろうし、6才の時(1948年)に改正刊行された讃美歌は中学1年まで使われていた。確か中1の時 (1954年) に大幅に改訂され、せっかく覚えた讃美歌とその番号がふいになって戸惑ったことを覚えている。

どういう訳か『日曜学校讃美歌』昭和19年版を未だに私は持っている。この讃美歌には、今でも覚えている「花よ花よ」「そらのとりは」「のきのこすずめ」「山も野辺も空も」「かえれつばくら」など数々の懐かしい讃美歌が収録されている。しかし、今この讃美歌をあらためて開いて見ると、最初に「皇国」という項が1〜4番まであり、次に「大東亜」という項が5〜10番まである。だがこれらの歌を戦後の私は当然日曜学校で教わった覚えは無い。戦後は、抜粋したものを模造紙などに書き、皆で見ながら歌っていたからである。

さて、戦時下に使われていた大人の讃美歌については、見た事もないのだが、「君が代」などが最初にあったというような話はかねがね聞いていた。

今回手にしたこの本によると、前述の『日曜学校讃美歌』の他に『興亜讃美歌』『青年讃美歌』『興亜主少年讃美歌』『讃美歌・時局篇』などがあったという。これらはみな国策にそって作られ、皇国史観によるアジア支配を高揚賛美するものが満ちていたのだ。それほどまで・・と、実に驚くべき内容の讃美歌であったことを知った。国家権力が皇国史観という権威を身に纏って、富国強兵を軸とした時に、そこにみごとに取り込まれてしまい、聖書の信仰本来の「非戦と世界平和」への賛美が失われたことは痛恨の痛みである。

現安倍政権が明らかに、上記のような復古主義に立つ以上、わが教団の持っている「戦責告白」は、これからの教団の歩みにおいてまさに命綱であると想う今日この頃である。同時に、「教会教育」においても「讃美歌」のもつ重要性が問われていると言わざるを得ないのではなだろうか。

 

2014.6.29「女占い師と平和憲法」

 

本日の聖書日課のテーマは「悪霊追放」で、テキストの一つが使徒言行録16章16〜24節だ。ここに「占いの霊に憑かれた女奴隷」が登場する。そこですぐに一人の女性のことを想い起こした。私の大津教会の時に出会った女性である。彼女は夫に死に別れ、失意と病のなか教会の門をくぐられた方だった。一人で贈答品などの品物を仲介する仕事をしておられ、やがて洗礼を受けて入信された。その後私が相模原の翠ケ丘教会に移った後に、彼女は大和市に移ってこられ、翠ケ丘教会に転入会された。べつに私の後を追ってきたわけではないので誤解のないように。ところが彼女は仕事替えをしていた、それが「占い師」であった。私はあっけにとられて言葉も無かったし、パウロのように否定もしなかった。ただいけないと言えずに黙認するだけだった。

本日の使徒言行録に出て来る「占いの霊に取りつかれていた女奴隷」は、まったく逆で、パウロによって「占いの霊」を追い出されている。そのため彼女の雇い主は損失を受けたので、パウロとシラスは捕えられ、訴えられ投獄されたのである。

彼女の雇い主の言い分は、自分たちとは「風習」がちがうことによる経済的損失を訴えている。この場合の風習とは何か? ユダヤの風習は普通「割礼」であるが、ここでは「聖餐式」のときの聖なる口づけだと考えられている。いずれにしても、キリスト教信仰が、「占い」などという極めて即物的、御利益的な信仰を否定していること、そのことが商売人にとっては大きな経済的損失につながったので、その障害となるものは一切排除しようとしているのである。

日本社会は、キリスト教にとっては圧倒的な異文化社会である。いつまでたっても人口の1%以上にはならないのである。一方において、クリスマスとか、結婚式などは圧倒的な支持を受けている。と言うより、異文化にうまく利用されているのだ。キリスト教文化が土壌となってのことではないのだ。この事は充分に心せねばならないところであると思う。

今、日本国憲法は危機的状況にある。憲法の不戦と平和主義が理解されないのは、現行憲法にはキリスト教的匂いが強いからだと思う。しかし、この平和憲法を守ろうという声も大きく上がってきていることも事実である。宣教への大きなとっかかりがそこにあるとのではないだろうか。見失ってはならない視点であると強く思う。

 

2014.7.6「切り石の祭壇」

 

「もしわたしのために石の祭壇を造るなら、切り石で築いてはならない」これは4 日の聖書を学ぶ会のテキスト、出エジプト記20章モーセの十戒の章25節の言葉である。自分の解釈による神のイメージを抱いてはならない、つまり偶像崇拝への戒めである。聖書のみ言葉を自分の勝手な解釈ではなく、文字面の奥底に響いている主なる神の言葉に聴きなさいという事なのだ。

この1日に安倍晋三総理は、平和憲法の重大な解釈の変更を閣議決定した。これは歴代の政権が積み上げてきた解釈の変更であり、国のかたちを根底から覆しかねない暴挙と言わざるを得ない。つまり戦争をしない国のかたちから戦争が出来る国のかたちへの180度転換への道を備えたことになる。

一国の法律の元となる「憲法」の解釈の変更はあってもよいことだと思うが、歴代の政権が解釈を構築してきたことのその底には、我々聖書の信仰に生きる者にとっても同意できる天の意志を聞く事ができていたから、どうしても一言、そして再度言及しておかねばならないと思う。

旧約聖書の預言者イザヤの預言に、終末の平和の幻が語られている。「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし 槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず 

もはや戦うことを学ばない。ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう。」(イザヤ書2:4〜5)。

それ以後もヤコブの家(イスラエル=神の民)は戦渦から解放はされなかったし、国々は何世紀もの間闘い続け、何度も民族滅亡の憂き目にあってきた。しかし、この予言者の預言はすたれなかった。

そしてイエスによって更に新たな平和への指針が示された。「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイ5:9)、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(同5:44)、「剣を取る者は皆、剣で滅びる」(同26:52)と教えられている。使徒パウロも「あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい」(ロマ12:14)、「すべての人と平和に暮らしなさい」(同12:18)と薦めている。

このように、我が国の平和憲法の底には、まさに聖書のみ言葉の響き渡りを充分に聴くことが出来るのである。私たちが平和憲法を擁護するのは、決して政治的イデオロギーからではない。主の戒め、福音の響きを聞く事が出来るからなのだ。

 

2014.7.13「神の救いの歴史」

 

軽井沢追分教会はこの7月で創立21周年を迎えた。教会の歴史は「神の救いの歴史」そのものである。使徒言行録を読むと、初代教会 (エルサレム教会、アンティオキア教会)の宣教者たちの説教においては、神の救いの歴史の起点とイスラエルの評価について様々である。一言で「神の救いの歴史」といっても、その捉え方も神の民(イスラエル)に対して肯定的であったり、否定的であったりすることが分かる。私たちの教会や、教会を担ってきた牧師や信徒たちへの評価も様々であって良いと思う。

当教会も20年以上経ると神話化が始まる頃だろう。神話化というのは、私の理解では、この世的可視的世界に、見えない主なる神の創造の業を語ることである。それは語る者の信仰的主観に基づくものだから、同じ可視的出来事であっても、それが肯定的であったり否定的であったりと様々であろう。例えば、使徒言行録にあるペテロ、パウロ、ステファノなどの説教に見られるように、アブラハムから始めるか、出エジプトから始めるかなどが違うし、神との関係におけるイスラエルの評価についても、肯定的であったり否定的であったりと様々であるのだ。

昨年7月に20周年を記念して発行された教会誌「風がなるとき」もそうであったが、10周年時に発行した同誌にも、この教会の始まりには、「風」が強く意識されている。「風=プニューマ」、それは「風」「息」「霊」を意味している。つまり神の命に生かされてはじめて「神話」が始まるのだ。

使徒言行録は別名「聖霊行伝」ともいわれている。初代教会の使徒や、信徒たちから「聖霊」を取り去ったら、現在の言葉を使うと、ただのカルト宗教に終っていたことであろう。

「カルト」とは、もともとは神々や英雄への崇拝だが、現代では熱狂的崇拝やそれを行う集団を意味している。そこには神がかった教祖的存在、組織の絶対性、マインドコントロール等々が伴う。

私たちの教会でもそれらのカルト集団的パン種(ガラテヤ5:9)が潜んでいるかも知れない。人間的権威主義、律法主義、分派争等々。信徒同士の人間関係のもつれにもそれらの種が潜んでいるかもしれない。

己を誇ることなく、良きに付けても悪きにつけても、「聖霊」の働きに全てを帰すること。それが「神の救いの歴史」の証言者である真の教会の務めであろう。

 

2014.7.20「ミンダナオの風」

 

私は、いつごろからだろうか、松井友が主宰している「ミンダナオ子ども図書館」の支援を(といっても細々とだが)している。この活動報告は今でも頻繁に私のE—Mailに飛び込んで来ている。松居友は、児童文学者で、福音館など出版事業で有名な松居直の息子である。松居直は同志社の先輩で、佐伯幸雄牧師と同級であり、キリスト教保育連盟の関西支部の保育者研修会の講師などでもお世話になった方だ。

「ミンダナオ子ども図書館」は、この島の孤児たちが、極貧の先住民や、戦闘の絶えない地に住むイスラムの子どもたちにお話をしたり、子どもや若者たちが、種族や宗教の異なった別の集落の子どもたちと会って絵本について語り、共に踊ったり歌ったりする活動に対して様々な支援をしているのだ。そこから送られてきた「ミンダナオの風」(2014年6月号季刊45号)の活動報告を読んでいると、とても充実した良い働きが展開されていることがよく分かり、もっと支援せねばと思わされるのだ。しかし、そのような記事のなかに、「集団的自衛権は、NGO活動を危機に落とす」という記事があり、思わず引き込まれて読んだ。つまり、世界中の紛争地帯で、このようなNGOの働きは無数にあるのだが、その働きが可能になっているのは、日本がすばらしい「平和憲法」をもっているからだと言うのだ。ミンダナオは、100万人の難民が出るような戦闘や反政府ゲリラの活動する地域であるが、比較的安全なのだ。もし日本が海外に軍隊を送るようになると、そのような活動地域での危険度は数十倍になるのだというのだ。

「平和憲法」の故に、世界の人々は日本人を尊敬し、過去の過ちがあったとしても、現在は心を開いて受入れてくれている。だから今回の「集団的自衛権の容認」は、現地で長年活動してきた者にとっては、恐怖以外の何物でもないと締め括られていた。

 ミンダナオに限らず、世界中が「平和憲法」のもとで軍隊を持たない、戦争をしないという「憲法9条」を評価して、日本人への尊敬と自分たちの理想への希望を培ってきたといえる。そのような現実を私たち日本人はもっともっと知らねばならないのではなかろうか。「自虐史観」などととんでもない戯言を言っている場合ではないだろう。安倍政権は世界史上どの国も得た事のない至上の「宝」を、愚かにも捨て去ろうとしていると、はっきりと確信させられた思いであった。

 

2014.9.7「ユビラーテ」

 

「ユビラーテ奏楽者の会」22回目の夏の研修が今年も当教会を会場に開催された。

この会は、追分教会の産声とともに今日まで歩んでこられた。木田みな子師の主宰する超教派的オルガニストの研修グループであり、東京を中心にオルガンのレッスンや、講演会、演奏会を展開している。

「ユビラーテ」とはラテン語で「踊れ、喜べ」といった意味。木田師の薫陶によって育った教会オルガニストは数多く、いまだに彼女の息吹(精神)に魅了され、多くの方が師と仰いでおられる。木田師の魅力は、どんな未熟な者でも安心してレッスンを受けられるところだ。気負いは一切無用。近年私自身も一参加者として夏期研に加わっている。そして、この夏期研の最大の特色は、オルガニストも含めて「合唱」訓練が基本とされているところである。

合唱と言えば木田師は、私が属した同志社大学学生聖歌隊の大先輩でもある。私の義兄井殿園牧師は、木田師と肩を並べて聖歌隊で歌っていたとのこと。そんな親近感も大いにある。それはさておき、「合唱」の指導は指揮者の細川祐介さん。実にユニークな発声理論と訓練だ。まず第一声は、ビクトリアの「私は無垢な子羊のようだった」の最初の音Cフラット、その1音だけで30分近い音出しなのだ。「声=音」の本質を徹底追求するような発声訓練なのだ。何と言ったらよいだろうか、人間がある種のものから解放されて喜び踊り出すように昇華されていくのである。これは、2日目の「夕べの祈り」でのAffetti musicaliによる合唱、松原葉子さんのリードオルガン演奏でもうそうであったし、最後の「賛美礼拝」での岩波滋さんの笙による前奏、内田輝さんのサックス導入による合唱にも存分に顕現していた。指揮者自身がその感動に涙しておられたことに会衆は気づいただろうか。

音楽理論講義はキリスト教オルガン音楽理論教授の藤原一弘さん。彼の講義もユニークかつ高尚なのだ。彼のリポート「地上における天上の楽器オルガン」でオルガンの歴史が語られている。それは数学理論の基礎との関連という難しいものなのだが、結論からいうと宇宙論的秩序に一番かなった楽器といったらいいのだろうか。聖書的にいうと、神の「天地創造の秩序」にかなった楽器ということなのだ。パイプオルガンが楽器の王様であると言われていること、なぜ教会(神賛美)の楽器として最高のものであるかがよく分かる。希望者はコピーをどうぞ。

 

2014.9.28 「捨てたもんじゃない」

 

「軽井沢9条の会」では、安倍政権が「集団的自衛権行使」を憲法9条解釈の変更により閣  議決定したことに対して、町議会として政府に「この決定に対して抗議し撤回せよとの意見書を出すこと」を請願した。実は、この種の請願を提出しても、昨年秋のことがあるので、期待はしていなかった。と言うのは、去年12月の議会にも「憲法96条の発議要件緩和に反対する請願」を提出したのだが、「継続審議」扱いとなり、なんとやる気のない議会よと失望していたのだ。町議会における「継続審議」とは「やりませんよ」を意味すると聞いていたからだ。

先週26日の町議会では、今回の請願も「継続審議とされた」との報告を、その夜、9条の会世話人の丸山清江さんから受けた。ああ、やっぱり!であった。

しかしである、その報告に続いて、前回継続審議とされていた「96条の請願」が今議会で取り上げられ、可決されたというのだ。1年近く経てはいるが、町議のみなさんもそれなりに勉強をしてくれたのかなあ、ちょっとは私たちの言うことを聞く耳をもっていたのだなあ、と思った次第だ。まったく期待しておらず、でもこういった行動だけはしておこうと提出した請願であったので、ほんとうにびっくり仰天したのである。

主イエスがマタイによる福音書7章(7)とルカによる福音書11章(9)で「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」と教えられている通りだと思った。あきらめていてもやってみることの重要性を認識させられたのである。

「どうせやっても駄目だ」と決めつけて三無主義に陥ってしまい、東照宮の左甚五郎のあの猿のように「言わない、見ない、聴かない」ということが信仰生活においてもないだろうか、と内省しきりの週末であった。

それにしてもちょっと見直した軽井沢町議会であった。