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天声JINGO アーカイブ

2010年度10月〜

 10.10.3「健全な思想を」

先週のこの欄で、今の中国を批判して、①思想の欠如②拝金主義③ナショナリズムに偏っているとのある論評を紹介したが、今、日中間で問題となっている尖閣諸島の領有権争いにも、そのことが、両国の政権に色濃く反映されていると思う。

政治には門外漢の私には、事件そのものはそっちのけで、おれのものだ、いやそうではないと双方で言い合うばかりで、そこには尖閣諸島海域の地下資源の奪い合いの感情的喧嘩があるようにしか思えない。海底油田だったか、ガス田だったか、今までなし続けてきた共同開発はどうなってしまったのか?なぜ今こんな対立を?といぶかるばかりである。

「普天間基地移転問」の行き詰まりの打開のために、中国や北朝鮮の脅威をことさら引き出す戦法か?と疑いたくなるのは私一人だけだろうか。政治の世界には「平和」とか「共存共栄」とかいう思想は看板だけで無いにも等しいと思う。パレスチナ問題でも然り、フランスのロマ追放政策も然り、アメリカの外国人不法労働者排斥やイスラム社会への反発も然りである。

 思想は、お題目だけではなんの価値もないばかりか害悪となるだけだ。

真の思想は、自分の目で実際に見つめ、耳で聴き、自分の体で触れ、自分の頭と胸で実際に感じ、考え、行動するところから生まれてくるものであると思う。 主イェスは洗礼者ヨハネの弟子たちに、あなた方が実際に見聞きしたことをヨハネに報告せよと言っている(ルカ7:22)。また初代教会の使徒たちは迫害の中で、自分たちの信仰体験を堂々と語っている(使徒5:28以下)。民衆の苦悩を肌で感じ取った思想の持ち主が、この世の指導者になってほしいと切に願うものである。

 

10.10.10「悲しむものと共に」

「思想の欠如」が国やその社会を駄目にする。健全な思想は、直接人々や物事に自らが立ち向かい触れ合い経験するところから生まれると論じて来た。(9/26、10/3の天声JINGO)

使徒パウロはキリスト教的生活の規範として「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」(ロマ12:15)と言っている。しかしこの「喜ぶ人と共に喜び、悲しむ人と共に悲しむ」ことほど難しいことはない。

7日の信毎第二社会面で「北安曇郡・松川中アンケート自分なら・・・思い巡らせ」という記事が目に止まった。松川中の生徒が、普天間中の生徒に、基地問題で「同じ中学生が何を考えているか」を知るためのアンケート調査を行なったことについての記事であった。最後は普天間中の生徒たちの「自分たちのことを知ろうとしてくれてうれしい」との感想で締めくくられていた。この記事を読んで、問題の渦中に置かれている人々が、どれだけ自分たちの現状や呻きを聞いてもらいたいか、共感出来る人々を求めているかが伝わって来た。逆に言うと、沖縄の人々の思いがいかに本土に届いていないかを問わせるものでもある。

9日発行の日本基督教団の広報誌「教団新報」に、教団社会委員会が沖縄で開催され、普天間基地移設問題の現地研修がなされたことが記載されていた。委員会報告記事という限界はあるだろうが、どこどこを見てまわったというだけで、どのように感じたのか、共感できたのか一言も述べられていない。我が教団も沖縄の嘆きを聴けていないのだ。同じ新報の最後にひっそりと「広告」が掲載されていた。「北村慈郎教師に対する戒規(免職)の決定について」であった。それは無味乾燥な、そして冷徹な、主イェスが何度も糾弾していた律法主義者の姿としてしか思えない。教団の醜い内部問題への愚痴になってしまったが、主イェスは、教会に閉じこもっておられない。先に述べた中学生の中に生きて働いている姿を見ると救われた思いになる。「悲しむものと共に〜」の現実をそこに感じるからだ。

 

10.10.17「天の国の現実」

「『チリ落盤奇跡の生還』69日ぶり地下700メートルから次々—今日全員を救出」14日朝刊の一面冒頭の見出しだ。今回のこの事件に世界中が注目し、無事を祈り、救出のノウハウの粋が世界中から提供され、閉じ込められた炭坑夫一人一人とその家族への思いやりに満ちた周囲の配慮、とりわけ報道陣の姿勢にもそれが顕れていたことは、出口の見えないアフガン戦争やパレスチナ情勢の重苦しさと暗闇が覆っているような世界にとって、一筋の明るい光が差し込んで、世界全体を照らし出したようであった。

「奇跡」とはきわめて聖書の信仰と深い関係にある概念であることは言うまでもないだろう。福音書における主イェスは矢継ぎ早に病人を癒す「奇跡」を起こしている。聖書で「奇跡」「しるし」「不思議な業」はしばしば同様の意味で使用されている。いずれも、人間の理解を超える、驚くべきことであるが、神の力とその支配を示す「しるし」を意味する(新共同訳聖書—用語解説)。

チリ落盤事故での「奇跡の生還」との報道表現には、神の力とその支配を示す「しるし」であるとの証言がそこに隠されていると私は思う。事実、救出された作業員が「我々は33人ではなくて34人です。その一人は神です。」またある作業員は「いつも『チリのプロフェッショナルと神を信じていた』」と証言している。

神の力の支配するところが「天国」である。国を超え、民族を超えた世界、年齢や経験を超えた世界が確かにそこに露呈した。迷い出た一匹の子羊を、見いだすまで探し求める主イェスの姿が確かにオーバーラップされている。そこに天の国がすでに到来しているとの証しがある。

主の教会は、天の国の魁であり、天の国への門であるはずである。あらゆる人々、あらゆる思想、あらゆる信仰、あらゆる立場が共存する場でありたい。集う一人一人が、イエス・キリストが共に居て下さるという信仰(確信)によってにみ支えられる共同体なのだ。

 

10.10.24「日本の将来は明るい」

 先週20日、久しぶりに新潟市にある敬和学園高等学校を訪ねる機会を得た。同校は、新潟市開港100年記念事業の一環で同市より土地の提供を受け、新潟県下の日本基督教団所属教会を始め、内外の教会の支援を受けて、日基教団のサポートにより、初代校長太田利雄が基礎をつくり1968年4月に創立した。現在は小西二巳夫(第4代)のもと、「自分探しで未来を拓く」学校として全人教育を行っている。所謂学力に捕らわれずに、個性の開花を切に待ち望んでいる若者たちに仕える学校だ。「労作」を重んじる学校だけに、駐車場で車を降りると、そこに今サツマイモを掘って来たばかりの1年生のクラスが通りかかり、サツマイモをふりあげて「こんちわっ」と気軽な挨拶が投げかけられてきた。校長の小西先生は、同志社神学部卒で私の後輩。教団の牧会者共同研修会委員などをかつて一緒にしたことがある。

来年度高校進学を控えた中学3年の彩桂ちゃんの学校見学が訪問の目的であった。校長自らが3時間半も案内をしてくれた。この学校の大きな特徴は男女の寮が整っていることだ。そして寮生活をなによりも大切にしている。私の次男もここで3年間お世話になったので、寮生活がどんなに人間関係と人格形成に大きな役割を果たしているか知っている。学力や技術よりも、「なによりも大切なものを大切にする」学風が健在でほっとした。帰り道新潟教会に寄ってみた。敬和の学生受け入れ態勢は今もかわらない。「日本の将来は明るい」と思わずにいられなかった。追分教会もこの学校を何かの方法でサポートしていきたい。

 

10.11.7「復活は幻想か」

私たちは「死」というどうしようもない現実の前では全くの無力である。長寿を全うされた人の死ならまだしも、突然の死に対して容易に受け入れることが出来ない。たとえば身内がだれかに殺された時など、犯人が情状酌量されて無期懲役刑と判決がなされても、納得できず死刑を求める遺族の思いが最近も報道されていた。死刑判決であっても、肉親の死を受け入れられるものではない。犯人がどんなに悔い改めても、死刑になっても故人が生き返ってこないことは分かりきっているだけに、気持ちの持って行き場の無い、やりきれなさはつらいことである。

以前奉仕していた教会の教会員夫婦の息子がオートバイ事故で死んだ。母親は息子の遺骨を胸に抱いたきり、涙の毎日であった。他に女の子もおり、夫もいるのだが、全く眼中に入らない状態が何年も続いた。牧師として全く為す術がなく、今でもその時の無力な自分を思い返す。死の力に飲み込まれてしまうとはこのようなことなのだろう。

イエスの十字架の死に際しての弟子たちもそうであったことが福音書では報告されている。「死の力」はこの世のすべてを支配している。死の力に支配された私たちはどこかで「絶望」しているから「死」をタブー視し、「見ざる、聞かざる、言わざる」を決め込む。だから死に余儀なく直面したときに慌てふためきもがくのだ。

「復活」信仰は単なる気休めではない。死ぬべき体をもちながら「絶望」ではなくして「希望」に生かされる道なのだ。これが自己満足の信仰でないのは、他者をも共に「希望」に生かす信仰だからだ。イエスは一人復活したのでない。全ての人を生かす原動力となられたのだ。

 

10.11.14「一寸先は砂漠」

旧約聖書出エジプト記には全聖書を貫く最も重要な事件が記されている。BC1700頃ヤコブ一族のエジプト移住に端を発しやがて奴隷化され、BC1290年以後にモーセによる出エジプトがなされる。そしてBC1250頃にカナン(パレスチナ)にたどり着いた。テーマは民の苦しみと神の救いの告知である。イスラエルは奴隷から解放され自由を得たが、荒野での生活は困難を窮めた。生活苦と約束の地への展望が見えないイスラエルは「律法」により、神に対して服従を誓った。「信仰共同体」としてのイスラエルの出発だ。本書が聖書の心臓部といわれる所以である。

出エジプトの民の苦しみは「飢え、渇き」であり、展望の開けない「絶望感」である。しかし苦しみを更に強めたのは彼らの不信仰であった。神の約束を信じ賛美し得ない民の逃れの先は、金の子牛を鋳て神として拝み、踊り騒ぐ姿にある。彼らの最後は行く先を失い破滅した。真の苦しみの源は,「主なる神への不信」なのだ。

今私たちの世界は様々な苦難に満ちている。出エジプトの民なのだ。

昨日の新聞報道で長野県内の自殺電話相談が2年で314件。そのうち失業者、うつ病の方々は「生きたい」と「死にたい」の間で揺れ動いているという。県警の統計では1998年から毎年自殺者は500人を超えるという。全国ではどんな数字になるのか。このことだけからしても、この世は苦しく、暗く、希望の見えない出エジプトの荒れ野状態であることが伺い知れる。

自分は苦しんでなんていない、むしろ幸せだから、信仰など関係ないと思う人はいるだろう。しかし一寸先は砂漠、闇、飢え、渇きである現実に目覚めるべきだろう。

 

 10.11.28「Let It Be」

先週の金曜日から定例の「聖書を学ぶ会」では、アドベントの特別集会として4回連続で、アドベントとクリスマスの讃美歌、カロル、バッハのカンタータなどを通して約一時間楽しく学んでいる。テキストには「クリスマス音楽ガイド」(川端純四郎・関谷直人編集 —キリスト新聞社)を用いている。今年のこの会は洗礼準備会でもある。

一般にクリスマス前4回の日曜日から準備を始めるが、この期間をアドベント(待降節)と呼び、12月25日が降誕日、1月1日が命名日(イエス)、1月6日が3人の占星術の学者が礼拝した日とされている。

讃美歌の中でクリスマスの讃美歌は一番多い。なんといっても救い主(メシア)の到来を知らせることは、主の教会の使命なのだから当然のことである。しかも、商業主義にまみれてしまったジングルベルやホワイトクリスマス等々のカロルとは違って、主イエスが私のところに来て下さったことへの内なる喜びを礼拝においてみんなと共に、またはひとり静かに噛み締め味わいながらえることが信仰者の醍醐味なのだから。

アドベントの学び①では「マリアのLet it be」というメッセージから始まっていた。ビートルズの話なので多分若い関谷先生の文章だと思う。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」(ルカ1:37)、主の言葉がこの私の内に実現するようにとは、常識では絶対に考えられない「処女降誕」という出来事を受け入れる究極的な信従の言葉なのだ。

主なる神の思し召しは、いつも人間を尻込みさせる。この世のあらゆる困難を被らねばならないからだ。イエスの母マリアは、「Let it be」の信仰のみが、神の人間への愛を実現させる器とされることを証明してくれたのだ。「おめでとう恵まれた方、主があなたと共におられる」との天使のマリアへの「おめでとう」の挨拶は、宝くじに当たっておめでとうとは比較にならない祝福なのだ。

 

2010.12.12「夜明けはまだか」

この世の「平和」はなによりも戦争のない世界であることに間違いない。65年間戦争とは遠ざかっている私たちにとってはこの「平和」の有り難さもごく当たり前のものになってしまったようだ。パレスチナとイスラエルの平和へのプロセスは今回も閉ざされてしまったようだ。決して双方の一般人は憎しみ会う理由はない、むしろ共存共栄をすぐにでも実践してみせることが出来ると思う。それを阻んでいるのは、国家という権力機構の利権と面子だけだと私には思える。他の紛争地帯でも同じだ。

昨今北朝鮮の脅威がことさらに強調されている。もっとも北朝鮮は過激なパフォ−マンスをするので、北の脅威論者(軍事至上主義者)にとっては、格好のチャンス到来のようだ。この機に乗じて、平和憲法にもとづく、武器輸出禁止3原則もなし崩し的にとっぱらおうとしているし、韓国軍と米軍と日本の自衛隊による北朝鮮への軍事的包囲網を強化しようとしていることは昨今の新聞紙上や、政府の普天間飛行場の辺野古移転姿勢によって容易に伺い知ることができるだろう。

不景気な時程軍需経済に頼るのは、強い者も弱いものも同じこの世の常であるように思える。その行き着く先は憎しみ争いの果てしない連鎖しかないことを、人類は歴史を通して学んだはずだ。しかしそこから抜け出せずにいる現実は暗い。

アドベントの讃美歌(讃美歌21-236)一番で、「見張りの人よ/夜明けはまだか/いつまで続く/この闇の夜は」と歌う。すでにこの世の死の闇を打砕かれた主イェスを私たちは知っている。この主は今なお私たちの心の門を叩いておられるのだ。私たちは自分の心の門をひらいて迎え入れるだけだ。そして「もろびとこぞりて〜主は来ませり、主は来ませり」とクリスマスを祝いたい。そこに夜明けは迫っているのだから。

 

11.1.2「暁の空の」

「どんなに私の心は喜んでいることか、私の宝なるお方はアルファにしてオメガ、最初にして最後。そのお方は、み名の賛美のために、私をパラダイスに受け入れてくださるでしょう。だから私は手を打って喜びます。アーメン、アーメン、おいでください、美しい喜びの冠よ、待たせないでください、私はあなたを憧れてお待ちしています。」(21-276)

 昔からドイツではこれはコラールの女王と呼ばれてきた讃美歌です。コラールの王と呼ばれるのは「『起きよ』と呼ぶ声」(21–230)です。この二つとも詩人でも音楽家でもないフィリップ・ニコライ(1556〜1608)という牧師の作詞作曲です。

 何故そんな彼が歴史に残るものを作り、しかも王、女王という不屈の讃美歌を生み出すことができたのでしょうか。その最大の理由は、当時ペストが流行し半年で彼の受け持っていたウンナの町で、1500人もの人が死んでいったことにあります。来る日も来る日も、死者の埋葬に追われる中で、天国の喜びと永遠の命への信仰を指し示すことによって、人々を励まし慰めたことです。当時の時代背景には、宗教改革によるルター派とカトリック、それにプロテスタント内部でもカルヴィン派との激しい闘争がありました。彼がウンナに招聘されたのは、まさに彼が宗派闘争の雄として評価されたからだともいわれています。しかし、ペストによる犠牲者の埋葬に追われる中で、いつのまにか彼の中からは教派主義も教理論争も消え、ただ神の憐れみを祈り、天国で待つ花婿なるキリストとの合一の喜びに目を注ぐほかなくなったのでしょう。そのことが土素人の彼に、かくも美しい二つの讃美歌を作らせたのです。「暁の星の美しい星」がクリスマスの夜、東方の博士たちを導いた星を思い起こさせるために、この讃美歌は「公現祭」(イエスのキリストとしての顕現を祝うこと)の讃美歌として今は歌われています。

クリスマスの喜びとはこのようなことなくしては味わい知る事の出来ないことなのだろう。わたしたちの教会も今の時代状況の中で、このような美しい賛美歌を生み出すべく新年を歩みだしたいと思うものであります。

 

11.1.9「クリスマスは続く」

教会歴によりますと、クリスマスは12月25日から3月6日まで続きます。待降節(アドベント)から入れると15週間105日間がクリスマスシーズンというわけです。あとは復活日まで49日間が続き、そのあとは召天、聖霊降臨ですから、いかにクリスマスが大切なことか分かります。

クリスマスといっても、12月25日の家畜小屋や占星術の学者や羊飼いの場面が続くのではありません。イエスさまの公生涯全体(約3年間)を通してのすべてが関係しているのです。

1月6日は「公現日」といって神が人間にその姿を顕現した時とされています。ですから神が人間の姿をとって私たちの前に自らをさらけだした時なのです。家畜小屋の赤ちゃんがそうであり、バプテスマのヨハネから水による洗礼を受けたイエスがそうであり、十字架で死んでいったイエスがそうであったのです。

神が人に現れたということは、様々な宗教においても言われていることですし、凡人であっても、仏や神が夢枕にあらわれてどういった、こういったという話はよく聞きます。また一国の王や支配者が自らを「神」として人々に拝ませたのは世界東西歴史には実際にあったことです。日本でも天皇が現人神でありましたが、敗戦によって人間に戻っています。また現在でも、人間の欲望が神に祭りあげられています。中でもお金が最大の神とされています。しかしそれらは所詮バブルでしかないことを万民が承知しています。

聖書の神は、それらこの世の神々とはまったく逆の神なのです。それは神が人間になられたということなのです。人間に見えるかたちをとってくださったのです。それも人間の救いのためなのです。あかちゃん、水による受洗、十字架の死は、決して神の自己顕示欲からでないことは明らかです。

 

11.1.16 「エクレシア 1」

日本おいて「教会」という言葉ほど曖昧なものはない。なにをもって教会というのか?みなさんはいかが?

日本ではあらゆる宗教で「教会」といっているにも関わらず、結婚式で「教会式」といえばキリスト教会に決まっているようだ。非信者でも本物の教会で式を挙げたいとおっしゃる。そういう方々に必ず、本物の「教会」とはどんな教会ですか?私も知りたいのですが、と問い返すことにしている。

 信者であってもこの問いに答えることは難しいことではないかと思う。どうしてもビジアルなことで説明しようとするのではないだろうか。例えば礼拝堂や境内。定期的な礼拝などの儀式、集会。教会規則や、教義や教理。資格をもった教職者の存在等々である。しかしこれらはいわば上に着る服装や飾りのようなものであって、「教会」そのものではない。だから着るものがちがえばそれは教派となる。問題は中身であり、本質である。

「教会」の本質を尋ねるなら、やはり「聖書」そのものに当たるのが一番だ。「教会」にあたる聖書の原語でもあるギリシャ語では「エクレシア」というおいしそうな響きのする言葉である。エクレアというお菓子とは何の関係もないが・・・! エクレシアは古代アテネの栄えた時代、招集された市民権をもった民衆の集会であり、国家の政治を支配する決定権をもっていた。それを後にキリスト教会が拝借したようである。またエクレシアはヘブル的背景ももっている。それはヘブル語の「カーハール」の訳語とされていることだ。カーハールは「呼び集める」という意味をもち、常にイスラエルの「集会」、「会衆」の意味に用いられている。そうなのだ、「キリストの教会」の本質は、同じ神によって呼び集められた者の集まり自体のことなのだ。

 

11.1.23 「エクレシア 2」

 エクレシア�で、キリストの教会とは、信じる同じ神によって呼び集められた者の「群れ」が「教会」の本質であると述べた。それを軸とするならどの教派の教会であっても同じということになる。しかし世間には深刻な宗派や教派の対立がある。その理由は、教会の堕落の問題、政治権力との関係、強権的であるか民主的であるか、個人的内的であるか、社会的外的であるか、民族主義的傾向の問題等々がその要因となって来たと思う。最も深刻なのは学問的見解の相違によることだろう。そこには異端の問題も起こるからだ。

 さて、私の場合何を基準にして、プロテスタント教会で、日本キリスト教団で、その中でも会衆派の伝統を持つ教会にいるのだろうか? 理由は簡単で、別に選んだのではない。そこで生まれ、育ち、生き続けているだけだからだ。人として日本に生まれ育ち、そこで生きているのと同じだ。だから私の信仰思想や生き方は、生まれ育った教会世界での文化的所産なのであるという以外にない。

 したがって私の「教会観」はきわめて相対的で自由なのである。色とりどりのファション、個性的なファッションがあってよい。どれが一番とか絶対とはいえない。固定化も禁物だ。モノトーン調の地味なものがあっても良いと思うがみなさんはいかが?。

 

11.1.30 「エクレシア 3」

 エクレシアとは新約聖書ギリシャ語訳で、キリストの教会の意。信じる同じ神によって呼び集められた群れ、共同体のことであり、それは普遍的なキリストの教会を意味し、どのような教派の教会であっても同軸である。教派はいわばファッションのようなもので、その点で多様性があってしかるべきだと論じてきた。私はたまたまプロテスタントの会衆派の流れをもつ合同教会である日本キリスト教団の教会に生まれ育ってきたので、決して自分で選んだ教会ではないが、由来自分にとっては最良の教会だと信じている。勿論いろいろ苦しみ迷って自分の教会を選んだ方々も多くあり、それは立派なことであると思う。

 さて、キリスト教の教会とは何か、何を持って教会と言うのか、世間では大きな誤解があるように思う。

�教会は建物か? 例えば軽井沢では、結婚式場でチャペルがあればそれを教会と呼び、そこでの結婚式を教会式と言っているところが驚く程沢山ある。たしかに十字架を塔の天辺に掲げていれば「教会」がそこにあると思うのは自然だ。「本物の教会」とチャペルの形だけでは見分けがつかないだろう。しかし「教会」は民家、一般の集会場や幼稚園などの一部屋を借りて礼拝をしている「本物の教会」がいくらでもある。決して建物そのものではないのだ。主イエスは、弟子たちがエルサレムの神殿を見上げて感激したときに、建物としての神殿がいかに無意味なものであるか、目に見える神殿はすぐにでも崩壊して無くなってしまうものだとルカによる福音書21章5〜6で指摘している。

 

11.2.6 「エクレシア 4」

 先週のこの欄でキリストの教会(エクレシア)は建物ではないと論じた。今回は、教会は規則かという問題である。それぞれの教会には「教会規則」なるものがある。日本基督(キリスト)教団の場合は教団の「教憲教規」なるものがある。

 規則は属する共同体の性格を示し、枠づけるものである。規則は教会のみならず一般社会における規則も同じだが、時代の変化にともなって変わっていくものであることは自明のことである。そうでないと、時代の変化に規則がついていけなくなり、その結果多くの人々が矛盾の中で苦しむことになる。

 キリスト教世界においても、神学の発展により聖書解釈の変化も伴ってきた。宣教の最前線で戦っている各個教会の体験の中から産み出される新しい聖書理解や方策もある。従来通りの考え方、やり方、つまり規則通りにやり通すことによって、差別の現実にぶちあたったり、逆に求める人々を排除したりせねばならなくなることもある。

 主イェスは、安息日論争で、彼の弟子たちの律法違反を問われた時に「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、滅ぼすことか。」と言った(ルカ6:9)。安息日(律法)の主はご自身なのだ。教会がほんとうに主イェスと共にあるなら、主の御心として、主と共に歩むが故に、自らの規則が人を滅ぼすように作用することは避けねばならないことなのだ。

 それ故にわが教団の規則は、もともとが曖昧(矛盾だらけ)に出来ているのだ。合同教会として、様々な伝統を持つ教会が一つにされるために、神が仕組んだ方便かも知れない。規則(教会法)は決して人を裁くものであってはならないのだ。来週は「聖餐」と教会について述べる。

 

11.2.13 「エクレシア 5」

 先週までに教会(エクレシア)は、信じる同じ神の呼びかけに応えて集まって来た者の群れであり、建物でも組織(規則)でもないことを語って来た。今回は、群れとしての教会がなすべきことについて語ってみたい。

 私たちは神によって礼拝者として集められているといえる。主なる神の前に集められた私たちは、まず第一に「主よお語り下さい」と祈り、主の言葉をじっと待つことが、礼拝者として大切な姿勢なのだ。決して自分の願いを真っ先に祈るのではない。主は私たちが祈る前から私たちの祈りはご存知なのだから。自分の願いを第一にする礼拝は、主なる神を自分に従わせる、主従逆転に陥るからだ。

 礼拝において主の言葉は、第一は聖書を通して語られる。具体的礼拝式では、招詞、交読文、その日のテーマとなる聖書朗読、牧師の宣教における御言葉の取り次ぎ等を通して語られる。

会衆は、語られた神の言葉を聴くが、きくだけではなく、応答をなす。讃美歌や祈り、献金などによってである。

しかし、神の言葉は聞いて応えるだけではなにもならないのだ。主イェスは荒野の誘惑において、「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。」と申命記8章の引用で答えている。つまり、私たちは神の言葉を聞いてそれを食して始めて礼拝者としてあり得るのだ。

 主イェスはご自分を神の生ける食物として、十字架で自らの体を引き裂き、血を流し、それを私たちの命の糧としてお与えになったのだ。神の言葉が語られ聞かれ、食されるのがキリストの教会の礼拝なのである。聖餐式はそのシンボリックな儀式なのだ。しかし聖餐式においてだけ神の言葉を食することが出来るのではない。肉体の食事のように、神の言は毎日悔(食)い改めるべき命の食物なのだ。

 

 

11.2.20 「エクレシア 6」

 5回にわたってエクレシア(教会)について語ってきたが、�において「教会規則」について否定するような事を語ったが、誤解のないように付け加えて言わせてもらえれば、教会は人間の集まりである以上、人間の弱さ(罪深さ)の故に一定の規則をもたなくてはならないものであると思う。モーセの十戒とそれから派生した旧約聖書の律法は、如何に人間の弱さを克服して神との和解をなし救いに到達するかがその目的であった。今日私たちの教会規則もある一定の枠(秩序)を求めるものであって、決して軽んじてはならないと思う。私たち教会の「信仰告白」も「使徒信条」を軸としていて、それは福音書の主イェスの出来事をまとめたものであるから、福音書そのものであると言ってもよいものである。一言でまとめるなら、「イェスは主なり」である。だからこのことを規定している教会の規則は大切なのである。

 しかしここで私たちには「イェスは主なり」と口で告白していても、その内実がつねに問われていることを知らねばならないと思う。

 私たち個人としも、教会としても、考え、今の生き方が真に「イェスは主なり」との信仰告白に価しているかどうか常に祈り求めることが大切なことなのだ。各個教会が、宣教の最前線で、苦闘し、暗中模索し、祈りに祈って決断した宣教方策は何人も否定できないことだと思う。もしそれが間違っていたならば、それは主ご自身がどこかで正して下さることなのだ。

 畑に蒔かれた「御言葉の種」は、たとえそれが一粒であったとしても、神の言葉である以上、計り知れない主の恵みを与える力を秘めていることを信じて、教会に呼び集められたすべての人々と共に食することが許されている、「神の言葉」という食物なのである。

 

11.2.27 「エクレシア 7」

 イェスを「主」と告白する群れがエクレシア(教会)であります。そしてイェスを「主」とすることは、他のなにものも「主」としないということなのです。そのことは頭では分かっていても、いつのまにか、自分の願望をかなえてくれる「主」を求めてしまうのではないでしょうか。そこにおける信仰の内実は主従逆転が起こっているのです。

 「イェスは主である」と告白することと、心底イェスを唯一の主人として従うことは一つのことでは決してないのです。たとえばイェスの弟子の筆頭であったペテロは、「主よ、ご一緒になら、牢に入って死んでもよいと覚悟しています」(ルカ22:33)と言い切りましたが、イェスはそのペテロに裏切りを予告し、その通りになりました。いわば信仰告白の有言実行は実に難しいことなのであります。

 私はかつて、「牧師なら死んでもこの教会に仕えるくらいのことは言え」と信徒の方に言われたことがありました。牧師しての私の覚悟の程を求めたのだろうと思いますが、ペテロの足下にも及ばない私がそんなことを言う勇気はついぞ起こりませんでした。

 さて、主イェスの使命は人々を、罪から解放することでありました。

 イェスは多くの「癒し」をなしましたが、イェスの「癒し」の本質は、「罪からの解放」でありました。

 「中風の人をいやす」(ルカ5:17〜26)物語では、病人本人の信仰ではなく、病人をイェスのもとにつれて来た人々の信仰を見て、「あなたの罪は赦された」と宣言しています。私はここに、教会を考える上で重要なキーポイントがあると思います。主イェスは、病人と彼をイェスのもとに連れて来た人々との間の愛にみちた信頼関係の中に「癒し=罪からの解放」を見いだされていたのだろうと思うからです。

 

11.3.6「沖縄研修ツアー 1」

 私は今回機会を得て、8年ぶりに沖縄を尋ねた。尋ねた沖縄とは、沖縄の米軍基地と基地反対闘争をしている教会、牧師たち、そして抑圧の歴史である。私は、米軍基地なら神奈川県時代、厚木飛行場からの米空母搭載機のタッチアンドゴーの騒音で悩まされ続けた日々を経験している。なにも沖縄までいかなくても地元で反基地闘争はいくらでも出来ると思う人はいるかも知れないが、沖縄は特別な事情があることを理解しなければならないから行くのである。

 やまとんちゅう(沖縄人以外の日本人)によって差別、侮蔑され続けてきたうちなんちゅう(沖縄人・琉球人)との関係の問題だ。沖縄は「大」にのみこまれた「小」との意識が強かったが、「大」は大きな象が小さな蟻を踏んづけていても、ふんづけられている側の痛み、叫びに気がつかないようなものだとよくたとえられる。

 私も沖縄(琉球)の歴史や、近年米軍基地によって抑圧されてきた人々の痛みはよく分かると思っていた。しかし沖縄の人々の話を聞き、実際に沖縄に足を運んでみると、今まで自分が理解していた「痛み」とは全く違う「痛み」だったのである。

 つまり沖縄を知る以前の私の感じた「傷み」は、象の痛みであり、決して蟻の痛みではなかったいう経験を私は1993年に初めて沖縄に行って知ってショックを受けたのである。

 沖縄の教会は、小さい蟻の「痛み」を負っている主体の一員であり、それを無視しての宣教はありえないのである。やまとんちゅう(沖縄人以外のの日本人)でも、大和の歴史と今の社会の痛みを正面から受けとめた宣教の姿勢が顕われはじめてきたが(教団の戦責の告白など)、まだまだマイナーな宣教の姿勢と受け止められているように思う。

 うちなんちゅう(沖縄人)の歴史とそれに続く現在の「痛み」をみずからの「痛み」となしえない、それが日本で負ってる米軍基地の75%とも言われている負担をさせているのだ。

 今回正味3日間ではあったが、反基地闘争の現場、そこで出会った方々、教会や牧師たちを通して経験したことを何回かにわたってこの欄で報告させていただく。

 

11.3.13「沖縄研修ツアー 2」

今回の沖縄訪問は、塩尻アイオナ教会の横田幸子牧師、松本教会の柳谷知之牧師、大町教会の関英晴牧師夫妻、それに松本教会員の望月紀子姉の6名のツアーであった。2月21日に私は一人で羽田から出発、夕方宿舎となる泊港にある船員会館に集合した。

翌日うるま伝道所牧師、琉球弧活動センター所長の西尾市郎牧師の案内で、レンタカーで出発。最初に訪れたのは、6年前に開設された「対馬丸記念館」。対馬丸事件とは1944年、近づく戦渦から避難のため、県民、特に学童疎開で777名の子どもたちが乗った対馬丸が、8月21日に出航し、翌22日夜米潜水艦ボーフィン号によって撃沈されたという事件である。1,788名中約8割が亡くなり、生き残ったのは177名で、そのうち学童が59名であったという。事件そのもの詳細は省くが、ショックを受けた話がある。その一つは、事件直後から、生存者に軍部から「対馬丸は撃沈されていない、事実を言っては行けない」と厳しい箝口令がしかれたということだ。撃沈という死の恐怖の経験、多くの友達を失った子どもたち、その家族、その体験を一切話す事が出来ないということは、どんなに辛かっただろうかと思う。沖縄本土に残されていた家族や、知人への動揺を軍は恐れてのことだろうか?島民の命や安全を考えての疎開ではなく、沖縄戦に備えて、足手まといになる人々を追い払ったまでのことではなかったかと疑われる。

ショックを受けた極めつけは、撃沈で亡くなった方々もふくめて、沖縄戦で亡くなったすべての島民が、なんと靖国神社に無断で合祀されているという事実だ。私もこのことは初耳で知らなかった。日本軍にガマを強制的に追い出されて犠牲になった一般人、投降しようとした故に日本軍に銃撃で皆殺しにされた人々、ガマで鳴き声がうるさいと殺された赤ちゃんまで103,656人とのこと。それは「戦傷病者戦没者等援護」によるのだそうだ。この「援護法」は軍人や軍属のためのものだ。ガマを追い出された者は、軍にガマを提供したもの、軍に協力したとみなしてのことだそうだ。遺族はこれを「補償」と受け止めていたそうだ。「援護」はたすけ守ることであり、「補償は」おぎないつぐなうことだ。だまされていたのだ。現在沖縄では多くの原告団が、合祀とりやめを求めて「靖国裁判」を起こしている。西尾牧師はその訴訟の事務局長もされている。沖縄のうちなんちゅうの痛みは、米軍基地だけでなく、今日に至るまで、こんなところにも疼いていた。このことをいかに私たちは自分のこととできるのだろうか。奇しくも今月6日に前沖縄総領事米の日本部長ケビン・メアの沖縄差別発言が発覚して、普天間飛行場の県内移転はきわめて難しくなったようだが、メアの差別観は、菅内閣など政府にも共通した差別が潜んでいるように思える。

 

11.3.20「沖縄研修ツアー 3」

 11日金曜日の午後2時46分に、東日本大震災発生。コイノニアで聖研・祈祷会の開始直後のこと。震度4〜5弱位の揺れに、出席者一同右往左往。被害なしでほっとしたのもつかの間、すぐさま牧師館のテレビ前に集合これは大地震との認識をなし、なお余震の続くなか解散した。以下はそれ以後の新聞の報道するところだ。私は思い当たる牧師や教会などに連絡を試みたがだれにも連絡がつかなかった。翌日五所川原教会の川上清樹牧師から電話があり、無事とのこと、だが他の教会の状況はほとんど分からないとのこと。当教会でもクリスマスのペンライトでお馴染みの、石巻栄光教会と後輩の小鮒実牧師の消息が一番気になったが、14日の東北教区の掲示板にてどうやら彼も避難所で無事らしいことが分かってほっとした。 

 沖縄駐屯の米軍海兵隊が早々に救援物資の搬入や原子力空母を派遣したとの報道とその解説で、元沖縄総領事ケビン・メアの沖縄差別発言で出来た溝をうめる狙いとのこと。このような大惨事をも軍事利用するのか。純粋に人道支援であって欲しい。

 沖縄研修の次は、普天間飛行場だ。ここに一坪反戦地主である私の所有する土地がある。私は湾岸戦争の翌年京都教区の沖縄研修に参加した折に、平良悦美姉の勧めで一口1万円で加入した。(一坪を何人かで所有する制度) 出来るだけ多くの原告団で土地返還訴訟をなすものだ。つい先週もこの裁判の公開審理があった。次に嘉手納飛行場へ。安保の見える丘で有名な丘の近くの道の駅の屋上にあがると、広大な飛行場の3分の2くらいが一望できた。ちょうどこの日は戦闘機が総動員されての離発着訓練の真最中だった。相模原市でも厚木飛行場からのタッチ&ゴーには悩まされたが、その比ではない数だ。ただ相模原の場合は、上空300メートル位だったのでファントム一機でも思わず身を伏せてしまうほどのものだったが、この日の嘉手納ではそれよりはもっと上空だった。しかしあれだけ次から次に飛び立っては、いつ事故があってもおかしくない。次の日の新聞で知ったのだが、その日嘉手納でパンク事故があり、1時間の空港閉鎖の間、飛んでいた戦闘機はみな普天間に。このような事態は日常茶飯事で、住民からは抗議がなされていたとのこと。翌日の地元新聞には一面に掲載されていた。そとなんちゅうの同日の新聞には一言も触れていなかった。日米安保条約は、沖縄にとっては戦場そのものなのだ。軍事が最優先され、住民の迷惑や、被害や、不利益は無視されて続けている。安保は一体だれのためにあるのか? なぜ沖縄だけが圧倒的に安保の犠牲を負わねばならないのか。おまえたちの問題じゃないのか?ここでも激しく私たちの胸にこの問いが突き刺さって来た。

 

11.3.27「沖縄研修ツアー 4」

 東日本大震災により、教会関係も被害状況が次第に明らかになってきているが、なによりも消息不明だった牧師が無事との情報は嬉しい。石巻栄光教会の小鮒牧師から昨晩E-メールが入り、避難所から帰っていたが、やっと電気が通じて連絡できるようになったとの一報。とにかく教会堂、牧師館、幼稚園の建物も一応は無事、ほっと胸をなでおろした。とはいえこれからの復興の道のりは遠いと思い、改めて息の長い支援をと思わずにはいられなかった。

 福島原発事故による放射能の影響が毎日事細かに報道され、野菜や水からの放射能の影響が心配され大騒ぎになっている。

政府や東電、原子力関係の専門家たちは、安全な数値で心配ないといいながら、野菜の出荷停止や、乳幼児の水道水の摂取を控えるようにとか警告するので、果たしてほんとうに安全なのか、危険なのか分からなくなり、それなら安全策をと言って買い占める庶民の感覚は大いに同情できる。

 さて、沖縄研修報告だが、嘉手納飛行場での壮絶な戦闘機訓練の実態を目の当たりにし、帰りは広大な基地の周囲を巡るかたちで帰路についた。ここでは全てが軍事基地色で彩られていて、郷土色などは一切消されている。まさに基地の中の沖縄といった表現がぴったりである。

 船員会館に戻り、そこの食堂で夕食を急いでとり、この日夜19時から沖縄キリスト教学院で行われた「沖縄キリスト教平和研究所・連続講座」受講へと向かった。講師は中原俊明先生(琉球大名誉教授)。演題は「70年を生かされて:戦中戦後体験から拾う」。お話は自分史が中心であるが、8項目に区切った自分史の状況から、現在と未来への、沖縄と国、キリスト教会の姿勢を問うものであった。私はたいへん疲れていたので、居眠りとの壮絶な戦いをしながらなんとか最後まで聞くことが出来た。 

 この講座に集った方々の中に旧知の牧師が多くおり、久しぶりの再会を果たすことが出来た。山里勝一牧師は、1980年代群馬地区牧師会での沖縄研修の講師で、私が沖縄の問題(大和の問題)を詳しく知った最初の出会いであった。それ以来滋賀県時代も親しくお交わりいただいた。彼の体験からの話は、世間における沖縄差別がいかなるものか、教団においても例外でなかったという話がショックであったことを昨日のように鮮明に覚えている。

 平良修牧師とは個人的に接点はなかったが、山里牧師と同様、教団と沖縄キリスト教団との合同問題では重要な働きをなされてきた方だ。お連れ合いの悦美さんは、20年位前、教団牧会者共同研修会でご一緒させていただき、一坪反戦地主運動への勧誘者でもあった。他、神奈川時代一緒で、最近沖縄に赴任された、金井創牧師(佐敷教会)や久保礼子牧師(那覇中央教会)も旧知の方々だ。