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天声JINGO アーカイブ

2009年度10月〜3月

 2009.10.4「終末的に生きるとは」

◆「終末」と言う言葉は広辞苑では単に おわり, はて とあります。また「終末論」は世界や人間の終末を論ずるキリスト教神学の一部。死・審判・天国・地獄などを論ずる。終末思想は、すでにユダヤ教に見出せるが、特に初期キリスト教では世の終わり、キリスト再来の信仰が強かった。と説明されています。

 聖書における「終末」はどうでしょうか。聖書辞典で「終末」は、「万物の終わりが迫っています」(�ペテ4:7)、「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」(マコ13:13)などと言われている場合、キリストの到来によって、この世界にメシアの時代が来たことを示している。パウロは�コリ10:11で、「時の終わりに直面しているわたしたち」と言って、現実の時と来るべき時について述べており、キリスト者はこの両方の時の間(中間時)に住むことを明らかにしている。つまり、メシアの時代はすでにキリストにおいて始まっており、われわれは今それが完成する終末の時を待ち望んでいるのである。終末についてはマタイ13章にも詳しく述べられている。イェスが弟子達に最後に出会われ、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタ28:20)と言われた。終末とは、世の終わりという時間的な意味を持つとともに、成就、完成の意味をも内包する概念である。と定義づけられています。 

◆以上のことから、私たちが「終末的に生きる」というのは、世の終わりには主の審判のもとで永遠の滅びか、それとも永遠の救いかに振り分けられるから、今生きている間に善行を積んでおこうというものとはちょっと違うと思います。確かにマタイ13:36〜43で述べられているイェスの終末の描写(毒麦のたとえの説明)で、不法を行う者の恐ろしい審判の模様が語られ、正しいものは天に受け入れられて光輝くといっています。しかし、だからといって、罪を犯し不法をなす者は今のうちに不法を改めて善行を積めとはすすめていないのです。イェス・キリストが終末の時としてこの世に来られたのは、不法をはたらくものすべての罪を肩代わりするためであったことを忘れてはなりません。毒麦のように最後の審判で焼き滅ばされる者が一人もないように、ご自身が人間すべての者の終末の死を身に負われたのが、あの十字架の出来事であったはずです。 

◆アメリカではオバマ大統領になって、核廃絶に向って積極的な発言をしています。でも米国は依然として世界の70パーセント以上核保有国と言われています。アフガンやイラクには依然として派兵して戦争をしています。はたして自らがどれだけ核を廃棄し平和を実現させようとしているのか疑問視もされています。日本では鳩山政権になってクリーンな政治をといいながら、みずからのクリーンさはどうなのか疑問視されています。どのみち権力者は欺瞞から逃れることはできないと、あきらめてしまうのではあまりにも寂しいじゃないですか。 

◆私たちが自らの欺瞞を捨てきることが出来ないからこそ、キリストは来てくださったのだから、せめてこのキリストを受け入れて、自らの欺瞞(罪、不正)から解放される時を待ち望むしか出来ないことを知るならば、お互いの欠点や矛盾をつつきあってばかりいるのではなくて、核廃絶や、軍備撤廃、CO2削減、パレスチナ和平というほんとうに難しい現実であっても、すべての人間を愛し大切にする方向に顔を向き続けること、そこに「終末的」な生き方があるように思えるのですが。 

 

2009.10.18 「納骨堂設置準備に思う」 

◆当教会では納骨堂設置へ向けての作業が年度当初から始まり、設計図案ができ、予算などの概要も算出され、次週礼拝後の教会協議会でその大綱が協議されることになっている。日本人にとって「墓」は古来重大事とされてきた。先祖崇拝はあたりまえの文化だ。自然宗教といわれているアミニズム・呪術崇拝・自然崇拝・多神教などの伝統が強いからである。私も過去41年間の牧会生活において信者とその家族の「葬り」について様々なことを学ばせていただいた。特にキリスト教会が「墓地」や「納骨堂」をもついことの意味について考えささられたことを思いつくままに列挙させていただく。

1.神の家族としての帰属意識の確認

自分の家の宗教は他宗教で、たとえば檀家となっている場合など分骨してまで教会の納骨堂に入ることを競って求める傾向が強い。社会的立場の弱い女性や、因習の強い地域のクリスチャン・ホームなどだ。 

2.もともと家の墓などない家族や(小作人や使用人の末裔たちに多い)、あっても核家族化で一緒に入るメリットを感じない家族や個人の求め。また経済的理由。

3.異邦人にとっての安息の地。日本に帰化した人々の一番の不安は、自分たちがこの地で死んだ時どうなるかが帰化するかどうかの判断材料ともなる。 

以上のように教会に「墓地・納骨堂」が求められる要因をまとめ列挙してみたが、これらのクリスチャンの中には、キリスト教信者といえども、どうやらアニミズム的信仰が奥深く潜んでいるのではないかと思われるケースもしばしばあることは事実である。

◆近年都市化と核家族化が急速に進んできた時代になって、一般的にも各個の家庭や個人のお墓が求められるようになったことは論をまたない。また墓所の確保や経費の面も無視できない。そんな社会的背景のもと、キリスト教会でも納骨堂をもつ教会が急増している。しかしキリスト教信仰はアニミズムではない。確かにキリスト教会は「十字架」を掲げている。それは「死者」を神として拝んでいるように見えるだろう。しかしキリスト教においては「死者」を崇拝するのでも、慰霊するのでもなく、「記念」なのである。そこのことをはっきりとわきまえる必要があると思う。だからといって日本的風土の中で、あからさまに「記念」だけを強調することは、キリストさんは「死者」を粗末にするとそしられる。そのような社会的印象を悪くすることは避けたいものだ。

◆いづれにしても、教会での納骨堂設置へのプロセスは、教会の「死者の葬り」への信仰的弁明(証し)をしっかりともつことだと思う。 

 

2009.11.8「神の祝福」

◆子どもへの祝福は親にとってはどんな時であっても欠かすことの出来ない日々の祈りであろう。私は長いこと幼稚園や保育園で園児たちに接してきたが、それは親や保護者たちのお子さん見つめる一途な眼との出会いの日々でもあった。保育者も先生方も自分の担任の子どもたちだけでなく、全園児へ眼が向けられていたように思う。日々成長していく子どもたちはあたかも彼女たちのすべてであるかのようであったことを懐かしく思い起こすことができる。それほど子どもたちへの周囲の熱心な関心は当たり前のことであり、それだけ人間の営みにおいては自然なことでもあるのだ。

◆しかし一方において子どもたちの成長を阻害する社会的要因が多く見受けられる。例えば、親の子どもへの過度な期待である。過度の期待が子どもの成長をかえって阻害してしまう事例も数多く見てきた。 そこでは「祝福」ではなく、子どもにとっては「呪い」が先行してしまうように思うのである。また私たちの社会には子どもという小さい存在を軽んじる傾向も顕在化していることが挙げられる。特に保育園においては、保護者の都合で健全な保育、養育を受けられない子どもたちが「保育に欠ける子」といわれて、入所の条件とされている。保育に欠ける要因としては、夫婦共働きのように経済的要因、あるいは両親がなんらかの不都合で子どもの面倒をみきれないことが挙げられる。しかしそのような子どもを受け入れる施設が不足していて、入所の順番待ちの子どもたちが増え続けていると報道されている。ここでは子どもへの社会の扱いに問題があるように思える。社会がほんとうに子どもたちを「祝福」しているとは言いがたいからである。小さい子ども一人でもないがしろにするならば、その社会は、子どものみならず、障害者やご老人、ひいてはすべての人々をないがしろにする危うさを内含しているといわざるをえないだろう。

◆私たちは、聖書の神の「祝福」は、すべての人々への「祝福」の源となるであろうことを疑うことは出来ないのである。なぜなら聖書の神の祝福は無条件の祝福だからである。 

 もう巷にはクリスマス・ムードが漂い始めているが、クリスマスは、神の人間への祝福の贈り物であることを知らねばならない。クリスマス物語を注意深くみつめなおしてみよう。神の子の生誕の場は、弱い赤子が中心であり、人間の貧しさ、弱さ、冷たさ、辛さ、悲しさがん充満している場であるのはなぜだろうか。 そこは条件付の人間の祝福によって逆に呪われたこの世の現実だと思う。でもその同じ場にはもうひとつの現実が顕れている。 罪人といわれていた異邦人や羊飼いが招かれて、心の底から喜び礼拝しているではないか。また天使の歌声が響き渡っているではないか。そして全てが光輝いているではないか。そこには神の無条件の真実なる祝福の現実があるからだ。両親、保護者は、先ず自分自身のエゴイズムから解放され、真実の主なる神の「祝福」を祈り求めるものでありたいとつくづく思う。

 

2009.11.15「雑感・1」

11日の信濃毎日新聞は3つのことで興味深かった。1つ目は「斜面」(一面のコラム)で、今年の信毎選賞を受けた池田真理子さんのこと。2つ目は普天間飛行場移設問題。3つ目は小沢一郎氏のキリスト教批判の記事。それぞれについての私の抱いた雑感を3回にわたって紹介させていただく。

 信毎選賞とは財団法人信毎文化事業団が与える、長野県内、または出身者で文化、スポーツ活動などを通じて社会に貢献している個人、団体を顕彰するための賞。1996年に設立されたもの。今回紹介された池田真理子さんは、ホームレスの自立を支援するNPO法人のコーディネーター。興味を待ったのは、私自身前任教会である翠ヶ丘教会が取り組んでいる(20年近く前から)相模原市における野宿者・ホームレス支援の夜回りに取り組んだことがあることからだ。特に今回興味を引かれた言葉が「コーディネーター」という言葉である。 コーディネーターとは物事を調整する人のことで、仕事の流れがスムースに行くように調整する専門職と「斜面」に説明されている。私はホームレスと野宿者が一体であるとは思わないので併記させていただくが、ホームレス・野宿者支援は、もともと行政の無策に支援活動を始めたずぶの素人のボランティア活動。相模原市においても、教会が主導するかたちで、市民全般の協力者を得て、試行錯誤しながら支援のありかたを探って来たし、最近この活動もNPOを立ち上げて活動している。私は軽井沢に来てから、直接夜回りに関わることはなくなったので、最近の夜回りの現状・実態に触れることがなくなったのでなおさら強く感じるのだろうが、この「コーディネーター」という言葉がどうもしっくりとこないのである。法人化し、専門職化していくことによって、いわゆるお役所仕事的になって、被支援者との人間関係のあり方が、法とかお金や物とかの関係に傾いてしまうのではないか、などとふとそんな懸念が心の内をよぎったからである。

 そこで池田さんが取り組んでいる「ビッグイシュー」なるものがどんなものかインターネットで検索してみた。「ビッグイシュー」は、イギリスで始まったもので、ホームレスの人しか販売できない国際ストリート雑誌の日本版とのこと。つまりホームレスにこの雑誌の販売の仕事を与えて自立を図る運動なのだ。彼女はその仲立ちをする活動(コーディネーター)を本職としていたのだった。彼女の経歴や、ホームレス支援の動機なども掲載されていた。それを読むほどに、私の抱いた懸念は次第に吹き飛んでいったのである。相模原市におけるホームレス・野宿者支援(木曜パトロール)は、教会の宣教の業ではあっても、信者獲得のための狭い意味での伝道としての位置づけは当初からしていなかった。教会が支援活動をする唯一の根拠はイエス・キリストの「善いサマリア人」の譬えばなしにおいて、「あなたも行って同じようにしなさい」(ルカ10:25〜37)との主の要請に押し出されていたことに尽きる。池田真理子さんがクリスチャンであるかどうかは分からないが、そうでなくともこの主イェス・キリストの要請はいつでもあらゆる人々にも届いていて、それに応える人々が多いことを私たちは知らねばなるまい。

 教会(教団)組織の保守のためにのみ心血を注ぎ、教会法の範疇に主を閉じ込めようとする愚は厳に慎まねばならない。社会に開かれた教会とは、教会を超えて社会全般に働き続けておられる主イェス・キリストと共に歩むことに、教会としての宣教の真の姿があると信じるものである。

 

2009.11.22「雑感・2」

11日の信濃毎日新聞紙上で、三つの記事に注目したので、3回連続で「雑感」として述べさせてもらっている。本日は二番目の「普天間飛行場移設問題」から。

◆「普天間飛行場問題の本質」と題して沖縄国際大学教授の佐藤学さんが論じていた。そもそも米軍の軍事基地の沖縄への依存度が75%で大きな負担を強いてきたことから、負担の軽減を目指して、普天間飛行場の閉鎖・返還は米国からも提案されていた。当初はヘリコプター専用の小規模代替施設の建設のみが返還条件だったが、それが現在では大規模な新基地建設が条件となっていると指摘。それに移設問題は10年以上たっていて、それでも建設されていないということは、軍事的緊急度からしても低く、辺野古移設がなくても一向に安保同盟が揺らぐわけはないというものである。 

◆私が特に普天間飛行場の閉鎖・返還問題に関心を寄せるのは、1967年3月26日付けでなされた、「第二次世界大戦下における日本基督教団の責任についての告白」から出発している。それは教団が政府と同じく、戦後も沖縄の教会をトカゲのシッポ切りのようにいかに扱ってきたかを、現在は引退されているが、沖縄の山里勝一牧師から訴えられ、また多くを学ばせていただいていたからだ。そして1992年2月に開催された京都教区沖縄研修に参加し、観光ルートにはない戦跡を見学し、沖縄の過去の犠牲(琉球王朝時代の薩摩藩による鎖封)のみならず、戦中、戦後も強いられた犠牲が続いていることも知った。そして現在も犠牲になり続けている現状を肌で知ることとなったからだ。この研修会直後わたしは一坪反戦地主運動に参加し現在に至っている。ちなみに私の所有する土地は、宜野湾市字大謝名東原994-2(雑種地67�のうち持分は600分の1で、安保条約6条により、地位協定による特別措置法第15条第1項及び第2項により、地主の同意なしに強制収用され、毎年135円の使用料をもらっている。これは反対運動のために供託している。普天間飛行場の南の一番端である。

◆沖縄研修でショックだったのは、あなたたち本土の人間は沖縄にきて研修や、基地反対運動をするが、本土にも米軍基地はある。自分達の足元で地道に反対運動をしてほしい、それが最善の共闘となるといわれたことだ。沖縄研修に行った1992年2月は、湾岸戦争からちょうど一年目であり、私たちが訪れた普天間飛行場は静かなもので、戦闘機一機の離発着の目撃も出来なかった。湾岸戦争の時は、それはそれは毎日昼夜を問わず爆音は凄まじかったとのこと。私が爆音の厳しさを実感できたのは、1996年4月に転任した神奈川県相模原市相南に位置する前任教会時代であった。厚木基地(綾瀬市、大和市)は米軍と自衛隊の航空基地となっていて、横須賀に米軍空母が入港すると、昼夜を問わず戦闘機の所謂タッチアンドゴ−(離発着訓練)が始まる。飛行場はちょうど教会の真南4.5kmで、教会の最寄駅東林間から相模大野、そして東京都の町田駅周辺を旋回し、それをくり返すのだからたまったものではない。住民運動でこの訓練は硫黄島へ行ったはずなのが、いつのまにか戻ってきたとのこと。上空約400m位なので、礼拝中来ると彼らが去るまで爆音の凄まじさに説教は中断、幼稚園の運動会でも中断を余儀なくされた。私の抗議電話(市役所)は毎日のように朝の日課となった。

◆憲法9の戦争放棄条項は、イエス・キリストの十字架のごとく自己の無力化による平和の実現の福音と軌を1つにしている。だから、たとえ憲法9条解釈で、自衛権まで否定していないという解釈に百歩譲ったとしても、安保条約は米国の武力を隠れ蓑にしている以上、9条の精神を明らかに踏みにじっていることになる。安保条約からの脱却の方向性を不明確にしてはならない。このことをはっきり表明できるのは、十字架を掲げるキリスト教会、キリスト者の責任であり義務であると信じている。イェス・キリストは自分を憎み、裏切り、殺す敵を「愛し、赦し、救う」ために十字架に上ったのだから。

 

2009.11.29「雑感・3」

【11日の信濃毎日新聞紙上で、三つの記事に注目したので、三回連続で「雑感」として述べさせてもらっている。本日は三番目の「キリスト教は独善的宗教だ」小沢一郎民主党幹事長発言から。

小沢氏民主党幹事長は10日に和歌山県高野町で全日本仏教会の松永有慶会長との会談後、記者会見で、キリスト教に対し「排他的で独善的な宗教だ。キリスト教を背景とした欧米社会はいき詰まっている」、イスラム教については「キリスト教よりはいいけど排他的だ」、一方仏教は「人間がどのようにあるべきか、心の持ちようや生きざまを原点から教えてくれる」と述べたという。個人の宗教観としてはどう考えようと自由だが、政権政党のリーダーの一人としての発言としてはお粗末である。彼の教養を問われるだけでなく、人間性が疑われるような発言であり、キリスト教迫害時代の再来の予兆を感じさせられるような恐ろしい発言でもある。

わたしは同じような発言(講演)をかつて聞いたことを思い出した。それは群馬県時代(緑野教会1979〜1989在任)教会付属みどり保育園長をしていた関係で、群馬県社会福祉協議会保育部会の役員をしていた時のことだ。それは保育者研修会でのこと。講師の名前は忘れたが、神主でもあった。その講演で、「日本の教育をだめにしたのは『キリスト教』であると明言したことだ。その理由は確か、個人主義とキリスト教を結びつけての発言だったように記憶している。参加園にはキリスト教主義施設が少なからずあった。その施設から参加した保育士さんや職員はどんな気持ちで聞いていたことだろうか。私自身キリスト教主義施設の存在そのものを否定されたようで大きなショックを受けた。講演後、講師と役員の懇親会で私は本人にクレームをつけて激論した。飲んだ酒がこのうえなく不味かったことは言うまでもない。それ以後部会の講師選びには神経を尖らせるようになった。わたしたち(キリスト教)のそんなところが独善的で排他的といわれる所以なのだろうか。

小沢一郎流のキリスト教理解はあんがい一般的である。その理由は当然のことなのだが、一神教と多神教の違いからくるものであろう。一神教は唯一絶対なる神が明確なので、妥協はしにくい。多神教は逆に相対的で妥協は日常茶飯事となる。だからそこにおいてキリスト教が「排他的・独善的」といわれるなら、多神教からは「ながいものにまかれろ」が精神文化としてはびこってきたのだと言いたい。国家的政治的意図をもって戦没者を英霊(神)として祭ることに異議を唱えることを、排他的、独善的といって切り捨てるような思想こそが危険なのではないだろうか。先にのべた群馬県保育部会研修会の講師は、キリストさんは神さま神さまというだけで人を大切にしない、人を立てないから嫌いだとも言っていた。確かにキリスト教の葬式では、死者を祭らないから人を粗末にしているように見えるのだろう。また人の功績をあまり褒め称えない。その人を用いられた神を褒め称えるのが第一だから。

人を(この場合高野山)褒め称えるために、他者(この場合キリスト教)を引き合いに持ち出し比較することがいかに愚行であるか、私も肝に銘じて慎みたい。もうじきクリスマス。もっともっと「人間がどのようにあるべきか、心の持ちようや生きざまを原点から教える」出来事として宣伝したい。

 

2009.12.13「星のひかりさむき夜に」

教会季刊誌「風がなるとき」10月号でオバマ大統領の「ノーベル平和賞におもう」と題して、政治家への同賞授与への疑問を述べたが、10日に平和賞授賞式があり、オバマ大統領の演説が11日の新聞ニ面をとって(信毎)全文が英語と日本語翻訳で掲載された。新聞では他にも、この件についてのコメントや社説、状況分析など多くの言及が掲載されていた。そこには世界中が今回のオバマ氏の演説にかたずを呑んで注目していた様子が伺える。

 演説は、キング牧師の継承者としての自分と、米国大統領としての自分という狭間にあっての苦しい弁明じみた言及が随所にみられる演説であった。わたしはこの演説で、彼の人権・平和志向は確かなものだと認識を新たにした。そして人間の限界をわきまえた現実主義者であるとの自己認識もしっかりと持っている人物であることを確かめることができた。どこまで彼が核廃絶政策を自国で推進できるのか期待したいが、米国のみならずいままで世界のノーベル平和賞を授与された政治家によっても、平和へのプロセスはほとんど頓挫してきたことを思えば、オバマ氏への楽観は許されないだろう。むしろ暗殺されねばよいと心から願う。

 私が評価したいオバマ氏の言及は、「ガンジ−やキングのような人々がとった非暴力は、いかなる状況でも現実主義的で可能なことだとは言えなかったかもしれない。しかし、彼らが説いた愛−人間の進歩に関する彼らの根源的な確信、それこそが、常に我々を導く北極星であるべきなのだ。」である。「彼らが説いた愛」とはなにかといえば、いうまでもなく「神の無条件の愛」である。それこそが真に平和を実現する原動力であり、それが唯一の道しるべだと言っているのだ。わたしはこのくだりで、どういうわけか讃美歌3編53番の一節「星のひかり さむき夜に、かみのみ子は きたりたもう。」を口ずさんだ。クリスマス物語で東方の3人の占星術の学者が、生涯を星に導かれて、家畜小屋のみ子イェスにたどりついている。オバマ氏も米国大統領として、また世界のリーダーとして、さむき夜に星のひかりを頼りに旅する者としてその務めをまっとうしてほしいと強く願うものである。

 本日はアドベント「待降節第3主日」。次週はクリスマスだ。しかし信仰者の旅立ちはここからがスタートなのだ。わたしたちの人間の現実は、いつも限界を身に負っていることを知らねばなるまい。ある意味で「さむき夜」状態なのだ。だからこそ、星のひかりは鮮やかなのだ。9日の夜寝るときにあまりにも寒いので、雨戸をしめようとして、窓をあけると、空には鮮やかに星がきらめいていた。さむき夜ほど星のひかりは鮮やかなのだ。わたしたちひとり一人にとっても「神の愛」そのものである、み子イェス・キリストの降誕に向かって、共に「星」にみちびかれてさむき夜を歩もうではないか。

 

2009.12.20「2009年のクリスマス」 

クリスマスは、キリストの礼拝の意です。広辞苑で、礼拝は「神仏などを拝むこと。現代では主としてキリスト教でいう。」とあります。今日ここにお集まりの皆さんは、本来の意味でクリスマスを祝う群れに加わっておられることになります。本当のクリスマスについて知るには聖書のクリスマス物語を読むのが一番早道です。新約聖書マタイによる福音書1章〜2章、ルカによる福音書2章では物語として劇的に書かれています。ヨハネによる福音書1章の1〜18には、その意味について哲学的に書いてあります。一般的にクリスマスに演じられるページェント(降誕劇)では、マタイとマルコ福音書の物語がミックスされて構成されています。クリスマスは2000年前にイェスという人がキリストとして生まれた日ということに留まりません。クリスマスは日常的に私たちの只中で生起している出来事として聖書は証ししています。今年はマタイによる福音書を考察してみましょう。

 まず第1に時代背景があります。マタイ福音書では、最初にイェス・キリストの系図が記されています。アブラハムから始まる系図ですが、その系図は全て男系です。しかしイェスだけは「マリアからメシアと呼ばれるイェスがお生まれになった」と記されています。ここには、メシア(救い主=キリスト)が、この世の常識や秩序を超えた者としての認識があります。そして次に続く処女降誕物語もそのことを物語っています。いくら聖霊の子といわれても現実には通用しないでしょう。マリアは貞操を破った女性、不倫による子を宿した女としか見られませんから、ヨセフはマリアと縁を切ろうと決心しています。しかしヨセフはこのマリアを「聖霊」によって受け入れたのです。「聖霊」とは神の意志です。聖霊によって生まれた子は、インマヌエル(神は我々と共にある)と呼ばれると、天使はマリアに告げています。また当時ローマのかいらい政権であった、ヘロデ王の嬰児虐殺という強権の時代でもありました。 このクリスマスは現在もこの世の不条理(戦争、災害、貧困、暴力、差別などあらゆる不幸と思われるもの)の只中に生起しているのです。聖霊はそこにわたしたちを導いておられるのです。そこでのみ神様が一緒におられることを知り、喜び祝うのがクリスマスなのです。 

 マタイによる福音書では、唯一クリスマスを祝うことが出来たのは、ユダヤの人々ではありませんでした。救いからは程遠い存在であると思われていた、遠く離れた東方から来た異邦人(異教徒)である占星術の学者たちでした。いわゆる3人の博士たちです。彼らは暗闇の荒れ野を、生涯をかけてメシアの到来を求めて旅する人々でした。彼らは時には、救いは王宮(この世の権力、富)に生まれると、ヘロデ王のもとを訪ねていますが、そこではありませんでした。彼らは再び「星」に導かれて家畜小屋の赤子に会って礼拝し、彼らの全身全霊(黄金、没薬、乳香)をささげました。彼らを導いた「星」は、「聖霊」であります。 

 最後に、救い主として生まれた神の子は、人間の赤子として到来しています。人の赤子はあらゆる動物の子どもの中で最も弱い無力な姿で生まれてくるのです。子どもは生まれたのちも、相当長い時間大人の庇護の下におかれなければ生きていけません。 そこには人間の弱さにこそ寄り添ってくださる神が証しされているのです。世界中で一番愛され歌われているといわれている、讃美歌493番「いつくしみ深い」の3番の歌詞に、「世の友われらを、捨て去るときも」とあり、そしてそのような人生最悪の時にも「祈りにこたえて なぐさめられる」と歌っています。2009年、このクリスマスに、荒れ野を旅する3人の異邦人と共に家畜小屋の神の子を探し拝みにいきましょう。

 

 2009.12.27「2009年の終わりに」 

 2009年という年は、なんといってもアメリカ大統領選では黒人出身のオバマ氏が就任するという画期的な出来事があり、わが国でも長い自民党一党支配の時代に幕が下ろされ政権交代がなされた事があげられる。これらはアメリカも日本も経済的成長をするだけして、もう衰退期に入ったということからくる息苦しさからの解放をもとめての、両国民衆の選択であったのではないだろうか。とはいえ新しい政権は政治を一気にがらっと新しく変えてしまうような変革ではないことは、新政権発足後の歩みをみても分かる。アフガニスタンでの戦争は泥沼化し、大幅な軍隊の増派を余儀なくされているし、日本の鳩山内閣も数々のマニュフェストを履行できずに悩み、相変わらず金権体質は温存されていることが露になってきている。変革とは実に難しいものだと思う。そのようになかなか変われないけれど、確かなことは「歴史」が変革を求めていることであると思う、政権交代という事実に「歴史の意志」が示されたのだ。そのことを認め大切にしてほしいと思う。

 日本国憲法の人権思想は、世界でも誇れる高い水準を満たしていると思う。だが憲法の理念に反して、実際の人権感覚はかなり低いといわざるを得ないのは、司法のありかたをみるとよく分かる。今月17日の新聞報道で、「狭山事件3次再審請求審」の協議会が16日に行われ、東京高裁の門野博裁判長は検察側に対して、これまでの裁判で提出していない捜査書類などの証拠を開示するよう勧告したと報道された。私はかねがねこの「狭山裁判」の被告で石川一雄さんが無罪を勝ちとれた時から、まともな人権感覚が成長し始めるものと考えている。この裁判は部落差別問題とからんでいるだけに、日本人の人権感覚が問われる象徴的なものであると考えているからだ。わたしはこの記事を読んですぐ、最近ご無沙汰していた、狭山事件の被告石川一雄さんに、信毎の切り抜き記事と、メッセージをクリスマスカードと共に送り激励した。彼とは私の滋賀県時代、狭山中央集会で間接的に面識をもち、神奈川県時代には、教区のいろいろな集会で何回も直接出会う機会を得たし、寝食を共にしたこともある。狭山現場調査にも数回参加した。教団部落解放センター主催の会合でも何回も出会った。狭山裁判の不当性を訴える解放劇に出演したこともある。今裁判人制度導入が発足していろいろ裁判についての論議がなされているが、狭山裁判は、私のような法律には素人の一般人であっても、あきらかな矛盾点がいっぱいあり、石川さんが無実であることは一目瞭然であるのに、どうして?といった裁判なのだ。検察もあるとしている証拠類をなぜ(書類にして高さ1メートル半位あるといわれている)提出しないのかも長年の謎だった。今回の裁判長の勧告は、確実に「人権思想」の善き方向性を示したものだと思う。そんな遅々たる歩みではあっても、正しい方向をむいて歩む意志が示されたことは、弱くだらしない我々人間の歩みとしては大きなことなのだ。ここにもクリスマスへの導く「星」の光が輝いていると思います。

 

2010.1.3「グランド・ゼロから」

2010年・新年おめでとうございます。 今年も「平和」への祈りと、実現のための一歩を進めていきたいと思います。

「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。」(マタイによる福音書5:9)

■キリスト教会では、クリスマスと共に新年が始まります。ですから教会暦で降誕節は第8主日(今年の場合2月14日)までとなっています。教会暦でのクリスマスは、イェス・キリストの誕生から受難節(レント)までの公生涯を意味しています。それとは別に1月6日は公現日(栄光祭)とされています。「公現」とはイェス・キリストの人類への顕現を意味します。古代エジプトの太陽神からの影響を受けているらしいのですが、東方教会では2〜3世紀頃からこの日にイェス・キリストの降誕、洗礼、カナの婚礼、東方の3博士の来訪などを記念するようになり、4世紀以後東西の教会交流がなされるようになってから12月25日を降誕の記念日としたようです。いずれにしてもキリスト教では、神の子イェス・キリストのこの世への到来をもって歴史の始まり、歴史の中心、歴史の終着点としているのです。黙示録では『神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。「私はアルファであり、オメガである(始終一切)」』(1:8)と言っているとおりです。

■先週の礼拝でのべたことなのですが、クリスマスは「グランド・ゼロ」の世界であると言えます。「グランド・ゼロ」とは原爆や水爆の暴心地のことで、徹底的な破壊による無の世界をさします。アメリカでおきた世界貿易センターの同時多発テロによる破壊からよく使われるようになった言葉です。しかしこのグランド・ゼロの世界は古代からこの世に存在し続けてきたことであります。クリスマス物語りは「グランド・ゼロ」の世界そのものではなかったでしょうか。強大なロ−マ帝国の支配、傀儡政権であったヘロデ王の暴虐、度重なる暴動等々の歴史的背景のもと、エルサレムの神殿破壊への危機の時代でありました。 そんな中クリスマスの場面設定は、真夜中、家畜小屋、赤子の神、異邦人の占星術の学者たちの登場、罪人とされていた野の羊飼いたち。マリアの処女降誕はこの世的には夫婦間の断絶の危機、地域社会における偏見差別による人間破壊の状態、そしてヘロデの嬰児虐殺令によるエジプトへの逃避行など、すべて「人間破壊」の極みであるといえます。イェス・キリストの最後は十字での処刑でした。まさに完全なる人間破壊、「グランド・ゼロ」の現実です。

■しかしながら「グランド・ゼロ」は、新しい時代を切り開いていく起爆地ともなるのです。例えば1945年第二次世界大戦で日本は破れました。徹底的な都市破壊、きわめつけは、広島、長崎の人類史上最初にして唯一の戦争における原爆投下、唯一の地上戦場となった沖縄の徹底的な破壊は、日本が経験した「グランド・ゼロ」のものでありました。その「ゼロ」の経験はまさに「ゼロ」からの出発する強大なエネルギ−に変換していったのではなかったでしょうか。世界に誇れる「平和憲法」制定へのエネルギー源ともなったのです。人間破壊の現場におけるクリスマスは人間回復への返還点である強烈なエネルギ−となったのです。イエス・キリストの十字架の死からは「復活」という前代未聞のすばらしいエネルギ−が生み出されたのです。この新しい年も「グランド・ゼロ」に居ましたもう主とともに力強く歩みだしましょう。

 

2010.1.10「古い年は行く」

「古い年は過ぎ去った、私たちは、あなたに感謝します。イェス・キリストよ、このような大きな危難の中で、この一年、私たちを恵み深く、守ってくださったことを」(『バッハのコラールを歌う-名曲50選』より—讃美歌21-365参照)

■新年1月8日より、定例集会、金曜日の聖書を学ぶ会再開のテーマはこのバッハのコラールであった。この解説の中で「讃美歌というものは、芸術歌曲と違って、作者は重要ではありません。個人の歌ではなく教会の歌だからです。」とありました。 讃美歌とは民謡と似ていて、いつのまにか作者は忘れさられても歌い続けられているのだと。「教会」とは、唯一なる神に呼び集められた者の群れでありますから、教会の歌という場合、共同体の置かれていた時代とその社会の問題が色濃く繁栄しているということになるのです。ちなみにこのコラールはドイツにおける30年戦争後のカトリック教会とプロテスタント教会の争いの中で生まれたものだそうです。このコラールの3節は「教皇の教えと偶像崇拝から私たちを守って下さい」となっていました。今では「誤った教えから守って下さい」と言い換えて歌っています。このことは当時のプロテスタント教会にとっては、「大きな危機」であったことなのです。しかしその危機の中で真の信仰が神賛美というかたちで証詞されていることが分かります。時代の「危機」そこが宣教の現場なのです。信仰告白と神賛美の場なのです。

■暮れに一通の案内が届きました。それは兵庫県被災者連絡会からの−「第15回“1.17追悼・連帯・抗議の集い“」についてのお願い−です。会長の河村宗次郎さんは震災当初から神戸本町公園の避難者の一人であったと同時に同連絡会のリーダーとして専念されて今日にまで至っています。同連絡会のモットーは「最後の一人まで見捨てず救済をする」であります。案内の言葉を紹介します。「大震災15年、この節目を機に震災関連事項は幕を下ろすことでしょう。再起・再建とは無縁の人々をよそに!“15年だよ!もう、いい加減にしろ!との世論・状況になっています。しかし実体は?問題は解決していることでしょうか。再起再建は、被災者の『自己責任』でしょうか。350万円を限度とする『貸付援護資金』の返済、被災した中小零細企業への『貸付金』返済、20年契約による民間住宅借上げの復興住宅(の期限延長)問題等々、難解な課題が山積みしています。家具もない復興住宅の一室で無気力に息をひそめ、ただお迎えを待つばかりの姿ともいうべき高齢化した被災者。事態は、一段と深刻になっているとすらいえます。」

■迷いでた一匹の羊を見出すまで追い求める「良い羊飼い」のたとえ話のキリストの姿が、この「被災者連絡会」に重なります。 会長の河村さんはクリスチャンではありませんが、彼とその働きの中に、世間や行政から切り捨てられようとしている一匹の羊を最後まで守り支援していこうとする彼の姿に、確かにイェス・キリストを見ることができます。このような時代の「危機」の只中にキリストの臨在を知り、新しい賛歌が生み出されることによって、古い時代は過ぎ去っていくのでしょう。

 

2010.1.17「なぜ今ポナペなのか」

■ ポナペ合同教会との絆 

 ポナペ宣教については、教団派遣宣教師であった荒川義治牧師が著した『遣わされた人々の足跡 (ポナペワークキャンプの記録)(�) 』に詳しい。同著(�)の原稿は既に完成しているが、今回のワークの報告を加えて今年出版する予定であるが、今回のワークには、私と栗原幸子姉が参加するので、簡単にポナペ伝道についての概要をお話しておく。

 ポナペとは現在ミクロネシア連邦ポンペイ州の連邦議会と州都のある島である。1976年アメリカの信託統治領時代、ポナペ合同教会の要請を教団が受けて派遣されたのが、荒川義治牧師(同志社神学部卒)ご夫妻であった。もともとポナペ宣教は1919年日本の信託統治時代に、田中金造牧師(旧組合教会)が日本政府の要請で宣教師として送られ、主にコロニア地区で活動。3年後には安積清牧師が派遣され、オア地区担当。いわば政府の同化政策の手先のようなものだったと思う。しかし彼らは体を張って島民を日本軍の瞭辱めから守り通したとのことである。我々のワークキャンプは、オア地区で安積牧師が神学校を設立して多くの島民の指導者を育成した事業を引き継ぐものであった。

 ポナペの人々はアメリカからの独立を目指していたが、そのためには充分な教育と経済的自立が欠かせないと考えた。特にオア地区の人々はその意識が高く、教団に農業指導や建築、モーターボートの操縦などが出来る宣教師派遣を申し込んできた。これに応えて最適人者として荒川義治牧師が選抜されたのである。10年を目処として第一には農業生産を、第二には教会指導者と働き人の養成、訓練が目標であった。当時首都からの道路もないオア教会の40ヘクタールの広大な土地を開墾し、必要な住居、校舎などを建設するには、どうしても支援会を立ち上げる必要があった。荒川義治宣教師支援というかたちで1977年からワークキャンプが始まったのである。以来毎年ワーク隊が派遣され、生産活動ではつぎつぎと養鶏、養豚、胡椒畑などを充実させ、校舎や職員住宅が建設されてきた。荒川宣教師の教団派遣は10年で終了したが、その後も荒川先生は単独で、いろいろな形でオア・プロジェクトを支援され続けて来た。私たち支援会は荒川先生が関わり続けるうちは支援を閉じるわけにはいかない。ワーク派遣の中断は三度あったが、再開を繰り返して今日に至っている。

 私が直接ワークに参加したのは、1986年夏のワーク(緑野教会時代)からである。だから荒川派遣宣教師の終盤からの支援である。それ以来は支援会の委員としても用いられ、ワークも含めてポナペには5回のワークキャンプ参加、その他2回訪問している。

 当教会員本阿弥保高兄の父上故本阿弥政一牧師が1983年10月に2週間ポナペ合同教会牧師研修の講師として行かれていることも特筆して置く。

 以上のような歴史的経過から、ポナペ合同教会とそのオア・プロジェクトにとって特に荒川先生の働きを通して日本の教会との絆は切れないのである。我々の側からの認識は、今では個人的グループの支援活動だが、ポナペ側からみれば、あくまで私たちは日本の教会を代表していることは否めない事実である。この歴史的絆は、神以外は断ち切ることが出来ないと最近つくずく感じている。

 


2010.2.14 ポナペ・ワークキャンプ報告(1)

◆ミクロネシア連邦ポンペイ州のポンペイ(ポナペ)合同教会(会衆派)の運営するオア・クリスチャン・ハイスクール&カレッジ(神学校)の、男子寮建設プロジェクトは去年から始まり、今年の夏で終了予定である。私はポナペ伝道支援会の委員として、今回も3次にわたるワーク隊の第2次隊長(通算35次隊)として9名の参加者を率いて1月31日から2月11日まで行って来た。参加者は北海道2名、滋賀県3名、神奈川県1名、群馬県2名、長野県1名で、女性が4名、男性が5名で、先発した2名を加えて合計11名の隊であった。目的の男子寮は36名が入居できる大きさで、6名部屋6室(日本の感覚でいうと12畳部屋が6部屋といった位の広さ)真中に廊下という鉄筋コンクリートの土台と鉄筋プロック造り、屋根は木造の枠組みとカラートタン葺の平屋である。今回の我々の作業は屋根の枠作りとトタン貼り。作業チームは私たちの他に、現地人6名が私たちの直接の雇い入れとして働いてくれた。彼らの団長は13人の子持ちのダニエル。かれは父親のハッタさんの時からワークの協力者。彼は今般彼の居住する地区の牧師捕となったと聞いて嬉しい限りであった。現在学校の生徒は定員180名中138名。寮ができれば生徒数も増え学校運営も少しは楽になるかもしれないと期待する。

◆参加のほとんどは去年も私の隊に参加したメンバー。当教会員の栗原幸子さんと、室蘭市知利別教会牧師の石川宣道牧師の2名。作業も前回と全く同じ建物であったこともあり隊長としては隊をまとめるのに苦労はしなかった。ただし初めて参加の栗原姉にとってはそうではなかったようだ。他のメンバーは同窓会みたいなものだから最初から同族意識まるだしなので、彼女はなじみ込むには苦労したことだろうと思う。特にリーダー格のシビアーな議論は、感情的な喧嘩にも思えてびっくりしたと最後に告白された時にはっとさせられた。隊長として気の弛みが最初からあったと反省しきり。しかしそこは大人の彼女、すぐなじみ込んでくれて我々の欠けをカバーしてくれていた姿には感謝であった。

◆ワークキャンプの総大将は荒川義治牧師。彼はポナペへの教団派遣宣教師を10年務め、1987年に今の学校設立までこぎつけた人で、宣教師退任後も個人でポナペを支援し続けてきた。それに建築面(ワークキャンプ)での片腕とも言われている尾川正之兄(新潟・東中通り教会員)が1月7日より2月27日まで全日程をリードしてくれている。今回もそうだったが、ポナペの人々と日本人との具体的プロジェクト推進には、相互の文化的相違が大きな壁になっていることは確かで、慣れている我々でさえ未だに戸惑うことが多々ある。今回も先秋こちらから出向いて緊密に打ち合わせしたにも関わらず約束した、土台作りが全く出来ていなかった。そんなことも荒川先生は先刻承知の上で、本隊より一週間早く先発されたのだ。また資金援助だけではなかなかこのようなプロジェクトは進行しないので、実際にだれかが行って統括しないと遅々としてすすまない。たとえば、去年現地人の雇い入れは学校側がしたために、我々と現地人のコミュニケーションがうまくとれず苦労したので、今年は我々が直接雇い入れて監督した。そのことが実に事をスムースに運ぶ結果と繫がった。それにしても相手を理解し受け入れるということは実に難しいことなのだ。日本人みたいに、秒刻みでスケジュールを組み、契約通り事を運ばねば承知できないという感覚では、彼らと一緒に仕事も生活も出来ない。つまり共生が出来ないのだ。共生と言うのは優しいが実行するのは難しい。インマヌエル、主が私たちと共にいてくださるということは、想像できないほどの忍耐と愛がなければ出来ないということがここからも知れるとつくづく思うのであった。建築作業のほとんどは荒川先生と彼の片腕の尾川兄、それに現地人職人たちで、他のキャンパーは、資材運び、必要な道具受け渡し、木材のカットや釘打ちなどの補助的な仕事である。それでも足場の悪いところでの作業には重要な役割なのである。


2010.2.21 ポナペ・ワークキャンプ報告(2)

◆雨乞いキャンプ

 同じ乾季でも去年は雨がよく降って水の心配は全くなかったが、今回は文字通りの乾季で、雨らしい雨は2回のみだった。屋根に降る雨をトイで受け大きい水槽に貯める。その水を毎朝沸かして生活水にしている。トイレも今では水洗になっているので、水位は低くなるばかり。毎食事の祈祷、晩祷では必ず「神様、今日は雨をたくさん降らして下さい」と祈った。仕事中も少し雲が出てきたら空を見上げて、雨よこい雨よこいとだれもが念じていた。日本では農民は天気が一番気になるだろうが、一般人は水不足など気にしたことがない、水道を勢いよく流し放しにして顔を洗い浪費している昨今である。ポナペでは顔を洗うにも、モーニングカップ一杯の水で、歯を磨き、目の周りだけを洗うという倹約生活だ。水ひとつとっても、ポナペでは自然の恵みがいかに尊いものかを毎日実感させられるのである。人間も自然の一部(土の塵)であることを忘れるところに傲慢という罪があるのではないだろうか。

◆共同生活

 我々の隊は合計11名。毎日2人が当番で、食事や清掃などの世話をする。ちょっとした息抜きの時間もとれる。昼食は学校で給食をいただくが、朝晩は自炊である。当番はストックされている食材を眺めて献立を考える。日本の家庭で調理するようにはいかない。いろいろな制限があり、しばしば荒川先生に注意されながら、あるいは彼の手を煩わしてなんとか作り食べられる。杓子定規に事は運ばない、創意工夫以外に手はないのである。バナナの大きな房をまるまる吊るしておいて、いつでも好きな時に食べられるのが嬉しい。中でもアカタンという種類のバナナは最高の味とされている。学校の生徒たちとの接触も今までになく多く、休み時間やキャンパス内の行き来のときに、片言のポナペ語でやりあうのが実に楽しい。人懐っこい子どもばかりで、我々の語りかけに必ず応えてくれるからだ。生活の中で最も得がたいことは、日の出と共に起きることだ。自然界ともに目覚めて天を仰ぎ一日を始めることは、毎日が新しい時の訪れと感じられる。感謝と喜びにつつまれる瞬間だ。

◆ 作  業

 1月10日に先発した荒川先生と尾川兄が、現地で雇ったポナペ人と一緒に基礎づくりをなしおえ、1月17日に出発した第1次隊がブロック積みをきちっとなし終え、第2次隊の我々は、屋根をつける作業が任務。木材で枠をつくり、最後にトタンを載せるのである。作業が去年とほぼ同じであったことと、晴天続きでとんとんと仕事が進み、注文したトタンの搬入日より早くできたので、次隊の仕事である内装の下準備にまで手を伸ばすことが出来た。

 朝作業に入る前に現地のスタッフも一緒に荒川師の祈祷をもって始める。現地の職人は6名ほどで、彼らはもっぱら内装の仕事であった。彼らとは道具の貸し借りを片言のポナペ語でやりとりしながら、今までになく親密に作業することができた。ただ作業するだけでなく、このような人的交流が濃厚に出来たのは今までになかった経験であったことが大きい。実際に全身に汗して肉体労働することは、心身共なる新陳代謝を得て心地よい睡眠と目覚めに欠かせないことを改めて知る。産みの苦しみと、額に汗しながら生きることは(創世記3章)、神の罰ではなく、むしろ祝福であると聖書を読まねばならないのだろう。

 

2010.2.28 ポナペ・ワークキャンプ報告(3)

 

◆ポナペのキリスト教宣教の歴史は古い。ポルトガル人マゼランのマリアナ諸島発見が1521年3月。彼はグアム、ロタ、フィリッピンを発見するが、そこで原住民に殺されている。これを契機にミクロネシア海域には発見ラッシュの時代が到来することになり、ポンペイ(ポナペ)は1566年にスペイン人によって、マーシャル、トラックと共に発見された。その後のポナペ宣教の歴史を簡単に列挙すると、(1)スペイン領時代(1686年〜いろいろ変遷がある)、(2)アメリカ宣教時代(1851〜1887)、(3)カトリックと土着のプロテスタントとの紛争時代(1887〜1899)、(4)ドイツ宣教時代(1899〜1918)、(5)日本宣教時代(1915〜1945)、(6)再度アメリカ宣教時代(1950〜1963、(7)宣教師不在時代(1963〜1976)、(8)再度日本宣教時代(1976〜1987)となる。ポナペのキリスト教は実に324年前からのものであることが分かる。私たちの関わっているポナペ合同教会はアメリカ会衆派教会の宣教によるものであり、以後日本からの宣教師も会衆派(旧組合教会)による。�の再度日本宣教時代は、いうまでもなく日本基督教団派遣の荒川義治牧師による。荒川先生は同志社神学部出で、その信仰は会衆派の伝統を受け継いでいる。したがって我々軽井沢追分教会の受け継いでいる会衆派の伝統と同じである。

◆2月7日(日)の礼拝は学校のあるオア教会に出席した。この日はちょうどオア地区の教会(9つ)の共励会の大会で、オア教会には庭に溢れるほどの人々が集まっていた。共励会とは会衆派の禁酒禁煙運動を軸とした交わりの会で、日本にもこの「共励会」は存在し、守臣牧師は長い間この会の推進役を務めてきた。西日本、東日本の献身キャンプなどはこの会の主催するところから始まったようである。

 いつも日曜日は教会学校の子ども達との交流が恒例なので、子ども会の準備を毎晩進めてきた。また大人の礼拝では我々も賛美歌を合唱するのが恒例なので『子どもさんびか』のポナペ語訳をしたものの特訓を毎晩積み重ねてきた。そのためにギターの得意な小川忠之さんに無理をいって参加してもらっていたのだが、今回は共励会大会のために、子ども会も讃美歌合唱も出来ずとても残念であった。ただし、共励会の大会(礼拝)では、大会衆の讃美歌合唱、参加教会の讃美歌合唱が延々と続き、さながら聖歌隊の合唱大会のようであった。「賛美する教会」を我が追分教会は自負しているが、2時間以上にわたるこの大会では讃美歌合唱が90パーセント締めていたと言ってもいいすぎではないような賛美合唱の大会で、さながら天国の天使達の大合唱に包まれているような至福の時を与えられたのである。

◆作業は順調にいったのだが、最後の最後で、トタン屋根の頂上三角の部分に張るトタンのサイズがあわず、それだけは残してしまった。そのかわり36次隊の下準備をして予定された作業を完了。引き続き内装の仕事をしている6名のポナペ人と記念撮影をし、出番を失ったポナペ語子ども讃美歌を、彼らへの感謝と餞別をかねて歌った。その後彼らのうちの一人が、ポナペ語子ども讃美歌の一節を口ずさみながら作業していたとか。胸のあつくなる思いを与えられて帰国した。大雑把であったが、これをもって報告を終える。

 

2010.3.7 教会総会を終えて

◆次年度の教会の具体的な伝道計画とそれにともなう予算編成は、当然いままで過去の実績が下敷きにされます。当教会の伝道は17年前の創立当初から、「賛美する教会」「音楽伝道」が首尾一貫しています。その意味では新年度に向かって特別な伝道計画があるわけではありません。私が8年前に赴任してから当教会の実際を「言葉」にまとめて整理表現してきた結果が、宣教活動の基本方針であり、伝道活動の重点項目として列挙したものです。教会員以外の方々にも知っていただくために、今回は当教会宣教活動の基本方針について説明させていただきます。

◆宣教活動の基本方針は以下のように明示しています。

1.私たちの教会は、イエス・キリストの名において集まる信者の群れとしての普遍的教会に属することを基調とし、自主、独立、自由、自治の精神を重んじる教会としての自覚をもちつつ、他教会を尊重し、特に合同教会である教団の諸教会と連帯していくことを目指す。

2.毎週の礼拝を中心として、備えられているオルガンを最大限に用いた賛美礼拝を通して伝道することと、この教会の特殊な地域性と、独特の構成メンバーを生かすことを目指す。

3.宣教は、教会が主イェス・キリストのからだとして、この世へ仕える働きをなす。

 1.について。この世の教会は、指導する牧師や、集まる信徒の方々の信仰を育んできた教派的背景、神学思想的背景による色づけを避けられませんが、そのようなこの世の限界を超えた真理契機をもつのが、主の教会(エクレシア)であります。唯一なる同じ神によって、呼び集められた者の群れが普遍的教会なのです。この真理の上にしっかりと立つことによって、この世の限界を内に秘めた各個教会(教団)である事が赦されるのです。そうでなければ教会は偏狭的な閉鎖集団となってしまうでしょう。また教会の主体は教職者ではありません。集められた者すべてが主体なのです。勿論この主体の頭はキリストであります。 

 2.ついて。「礼拝」は宣教の中心です。主なる神と私たちの正しい関係と、隣人との正しい関係確認の場だからです。そこから出発し、そこに戻る教会の本質が「礼拝」にはあります。「賛美」には主の言葉に聞き応えるという礼拝には欠かすことの出来ない力動性が生起します。心の底から歌うことが大切です。

 3.について。賛美する教会は、山を下り、巷に出て、人々に無条件に奉仕する群れとされます。わたしたちは主の十字架によって罪が購われた者として、今度はこの世の罪を担い、購う復活の主と共に巷に出ていく、そのような教会を目指します。

 

2010.3.14 属国の憂き目から

イェス・キリストが生まれた頃のユダヤ政情は、ローマ帝国の属国という立場にあったことは、ルカによる福音書2章1節で「そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。」とのべられていることから明らかである。この記述は、イェス・キリストが歴史上実在したことを、歴史的観点から証明する記事とされているが、わたしはそれ以上に、世界に君臨する絶大なるこの世の権力の下に、イェス・キリストの出来事が生起したかという視点が大きな意味をもっているように思える。 

最近久しぶりに「ベン・ハー」という映画をテレビで見た。ユダヤ人の富豪ハ−家のあととり息子のベンは、ロ−マ人の子どもと共に育ち親友となるほど、ユダヤとロ−マの関係は良好であった。しかし、それは所詮支配者大ローマ帝国に服している限りの平和であった。彼らが成人して再会した時以来、ユダヤ独立の志を抱くベン・ハーにとって苦しみの生涯が始まったのだ。その苦しみと死への恐怖は、イェス・キリストの十字架への道とオ−バ−ラップされている。最後はベン・ハ−の母と妹の重い皮膚病が、主の十字架の死とともに癒され終わっている。

日米安保条約にまつわる数々の「密約」があらわにされてきた。いかに日本が大帝国・米国の属国としての屈辱的な姿を強いられてきたかがあらわにされたのだ。しかし、この屈辱を今までのように隠したり正当化するのでなく、この姿を真正面から受けとめていきたい。それは苦渋の道だが、十字架へ向かう主の招きがそこにあると思う。

 

2010.3.21 受難節徒然

 2月17日より主イェス・キリストの受難節に入っています。受難節は主の復活日までの日曜日を除く40日間です。40という数字は、ノアの洪水の日数、出エジプトの民の荒野でのさ迷いの40年、主イェスの宣教に先立った荒野での40日間のサタンの誘惑など、聖書では特別な意味をもった数字です。その数字の意味する背後には、試練を耐え抜くために神の導きとご加護の数々を数えることの出来る40という数字でもあります。40はわたしたちの人生をも意味する数字であります。今年の受難節に私たちはどのくらい主の恵み(ご加護)を数えているでしょうか。

■主イェスの十字架は全くの自己否定により人と神を結びつけてくれました。私たちも何か少しでも節制してみてはいかがでしょうか。私たちも神との結びつきを感じることができるでしょう。

■主イエスは荒野の誘惑の時に(マルコ1:12〜13)サタンや野獣と一緒にいましたが、天使たちが仕えてくれたと書いてあります。わたしたちには富や権力、名声の恐ろしいまでの猛撃の只中に置かれながらも、神が共にいて下さることがどんなに絶大なる価値あることか。私たちもこの主とともにあるならばそのような平安を約束されているのです。

■伝道を始めた主イェスは、なんの変哲もない平凡な漁師たちを招き弟子とされた(マルコ1:16〜20)。その弟子たちは後に主イェスによって「サタン」呼ばわりされている(マルコ8:33)。全く主を理解していない駄目弟子だった。でも主はなお彼らを招き続けている。弟子たちも従った。主イェスと共にいるとはそういうことなのです。

 

2010.3.28 受難節徒然2

■あかちゃんが成長するために学習をするが、その第一歩は母親をじっと見つめ、聞くことであり、その次に両親を模倣することはよく知られていることだ。 私たちもそうして育ってきたのだ。信仰者も同じである。主イエスをじっと見つめ、聞き、そして主を模倣するところから始めるのが信仰者なのである。

■主イエスの模倣すべき姿は、「最も小さい者に仕える」(マルコ9:37以下、マタイ25:31以下)生き方であろう。復活の主は現在でも私たちの只中で「最も小さい者たち」に仕えている。その姿を、私たちはじっと見つめ、聞くことが出来ているだろうか。たとえばこの月初めに札幌のグル−プホ—ムの火災事故が起きたが、ここにも「最も小さい人々」とともに苦しむ十字架の主の姿をみることが出来ると思う。「最も小さい者」に仕えることは、口で言うのは易しいが、これほど難しいことはないと。「最も小さいもの」とは、この世から無価値なものとされ、捨てられた人々だからだ。そんな彼らに仕えるのは苦労ばかり多く、なんの得にならないばかりか、世間から馬鹿にされ、かえってやっていることの責任ばかりを問われることになりかねないからだ。

■しかし、主に従う者の第一歩は、主イエスの生き様を私たちの現実の中にじっと見つめることなのだ、主イエスの姿を見失なわないように励ましあう教会でありたい。目下日本の社会情勢は沖縄の普天間基地問題で大騒ぎをしているが、そこにも模倣すべき、十字架へ向う主イエスの姿があるはずだ。