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389-0115 長野県北佐久郡軽井沢町追分51-37 TEL・FAX 0267-46-3312 郵便振替 00500-7-32001

牧師館へようこそ

<牧師プロフィール>

稲垣壬午(いながき・じんご)

1942年東京都生まれ。同志社大学大学院神学研究科(新約聖書神学専攻)卒業後、倉敷教会、琴浦教会、緑野教会、大津教会、翠ヶ丘教会の牧会を経て、2002年4月より軽井沢追分教会に着任。以後、当教会の宗教法人設立に尽力し、組織整備や地域伝道に力を注いでいる。

常に社会における弱者に視点を置いた活動を続けており、当教会着任後もカルト宗教脱会者を支援するNPOの運営にも携るなど、狭義の「教会」内にとどまらない活動を行っている。

また、地域の牧師や住民とともに「軽井沢9条の会」を立ち上げ、憲法九条の改憲の動きに強く反対し、平和を希求する立場を貫いている。顔写真では一見穏やかそうに見えるが、権力に対する反骨精神は並々ならぬものがある。礼拝堂の中の背広姿より作業服と長靴で軽トラを運転する姿が様になる牧師。

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e-mail : jingo@tama.net

天声JINGO アーカイヴ

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2018.10.7「会衆派教会の歴史を学んだ」

 

私たちは、たまたま○△派の□◇教会に属しているだけで、見た目や雰囲気、人間関係だけで繋がっていることが多いと思う。そのこと自体の良し悪しを言う積もりはないし、むしろ教派的壁など意識する必要が無いほうが好ましい。しかしそのことと自分たちの属する教会の歴史を知っておくことは全く意味合いが違うと思う。何故なら、自分自身の出自(自分史)を知らないということは自分という存在が不安定となるのと同じだと思うからだ。これは私たちの国や社会でも同じで、信仰の世界でも同じことが言えるのではないだろうか。

先週の教会研修会で日本のプロテスタント教会の歴史を中心に学べたことは大いなる収穫であったと思う。日本のプロテスタント教会史(会衆主義)については、今までも学びを続けてきたが、今回の後宮牧師によるお話は、コンパクトかつ平明な話し口であったのでとてもよく理解できたと思う。

一言でいうと、日本のかつての「組合教会」だけでなく、米国伝道会社=アメリカン・ボードの影響下にあった教派はみな「会衆主義教会」であった。宗教改革で教職資格を剥奪された者たちを、もう一度教職にしたのは、そこにいた信徒たちであったということから、「会衆主義」と呼ばれる宗教改革の教会が生まれたのである。新大陸に新天地を求めて渡った清教徒たちが、教会だけでなく社会そのものを「民主主義」化したという歴史を知れば知るほど、今の日本社会が民主主義の仮面をかぶった専制独裁政治であるとの思いが強くなる。

2日に発足した第4次安倍内閣とその人事を見れば、その色合いを強めていることが明らかである。早速「教育勅語」の導入や「敵基地攻撃体勢強化」などの発言が飛び出している。安倍首相が第一に掲げている改憲が成れば、先の沖縄知事選での辺野古基地反対派の大勝利にも関わらず、沖縄県民の意思を無視し、強権発動により県民の命すら踏みにじる恐れ大との懸念が深まる。会衆派の伝統を受け継ぐ我々プロテスタン教会にとっても、安穏としていれない時代の到来かと危惧が増すばかりである。

 

2018.10.21「クラス会考」

 

 17日に2年ぶりで東京の渋谷に行った。渋谷駅南口近くの私が卒業した区立大和田小学校は明治30年創立で、1995年に統廃合され消滅したのだが、そのクラス会に行ってきた。小学校跡は現在「文化総合センター大和田」である。このクラス会は小学校卒業(1955年)以来ほぼ毎年実施され、いつの頃からか3クラス合同の開催になった。今年は、生まれた時から今日まで地元の鶯谷在住の田中英樹君が、大きく変貌した渋谷の状況を地図と図面で解説してくれた。渋谷駅北側半分の場所には地上47階、地下7階の渋谷スクランブルスクエアが来年着工、2027年に開業するそうだ。2年ぶりの私の目にも高層ビルが立ち並ぶ渋谷駅周辺は、当時の面影もなく別世界であった。クラス会は楽しいものである。戦後の地域発展の歴史と我々の年代の成長の過程が重なる事と、聖ヶ丘教会設立の時が小1の半ばであったため、多くのクラスメイトが日曜学校に来ていたし、教会にピアノを習いにも来ていた。また弟妹たちが教会幼稚園に通う者もあり、繋がりが濃かったので、こんなにも長く毎年集まってきたのだと思う。

 だが、東京行きはとにかく疲れる、何故か?とにかく人が多い。有名な駅前のスクランブル交差点や道路に、切れ目なく忙しく群衆が移動し続けている姿を見て、彼らにはゆっくりと空を見上げる生活があるのかと思うのである。「空を見上げる」という生活は、人間にとってなくてはならないことではないか、と言う思いが脳裏をよぎったのである。

「空を見上げる」生活は人間の基本的な生活の糧であると思う。それは、聖書の四福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)が取り込んでいる、イエスが「五千人に食べ物を与える」場面である。言うまでもなく「五餅二魚」という絶対的不足の前で「天を仰ぐ」ことしか出来なかったイエスの姿である(マタイ14章)。この所作は万民に備えられている祈りの所作ではないだろうか。

阪神淡路震災でも、3.11東日本大震災と大津波でも、今年連続した豪雨や地震による大災害でも、被災者のみならず全ての人々は、なすすべもなく「天を仰ぐ」ことしか出来なかったのではないだろうか。「天を仰ぐ」ということは、天の主なる神へ祈りを捧げ、賛美するという礼拝行為そのものである。すべて、天の神のなすことに万歳をして降参すること、そこに全てを委ねるしかない、と言いう信仰行為なのである。そこでは、天を仰ぐ主イエスの口から、「思い悩むな〜空の鳥をよく見なさい〜。野の花がどのようにして育つのか、注意して見なさい〜。」(マタイ6章25〜)との言葉が聞こえてくるのではないだろうか。

 

2018.11.11「契約の虹考」

 

 先週の宣教のテキストは「ノアの箱舟の物語」の最後の場面であった(創8:8〜12)。そこでは神がノアと家族を祝福し、もう二度とこのように「生き物をことごとく打つことは、二度とすまい。」(8:21)と決心し、その契約のしるしとして「雲の中にわたしの虹を置く」(創9:13)と記されている。このノアの箱舟物語りはあまりにも有名だから知らない人はいないだろう。だが私たちはこの物語に込められているメッセージをどのように受け止めているのだろうか、もう一度聴き直してみよう。

 この物語の発端は、この世界を創造した神が、この世のあまりの乱れ、悪のはびこりに業を煮やして人間創造を悔やんだところから始まり、創造した物すべてを滅ぼし一からやりなおすという構造になっている。そこで一つ大きな疑問がある。そこには、神自らが創造したもの全てを良しとした(創1)ものを悔やんだ(創6:6)とあるが、被造物全体は神の失敗作だったのか?そうだとすると神の絶対性が否定されてしまう。さらに、洪水の後にも神は、洪水を悔やんで反省している姿が描かれている(創8:21)。そこでいろいろ考えてみて思いついたことは、当時の人々の価値観が、「因果応報説」に基づいているということであった。良いことをすれば良い結果を得る、悪いことをすれば罰せられるという考え方だ。その考え方を神に投影したのだろうということである。そこでの教訓は、何事も破壊的行動によって新しいものは産み出すことはできないということだろう。

イエスは「平和を実現する人々は、幸いである」(マタ5:9)と教えているが、平和は軍事力では実現出来ないというメセージがここにあるように思える。「人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ」(創8:21)という人間理解も、神がこの時初めて気付いたというのではなくて、人々の人間理解がそこに反映されているのだと思う。「虹」は弓という武力を意味し、虹を置くということは、戦いの道具を置く、つまり手放すということになる。具体的には今の日本の憲法9条が、神の祝福と契約の虹であると言えるのではないだろうか。

 

2018.11.18「サラの笑い(先週の宣教から)考」

 

創世記18:1〜15

「笑う門には福来たる」という格言があるが、笑いのあるところは明るいし、楽しい。しかし人間というのはやっかいな存在である。「笑」といっても、例えば、あいそ笑い、苦笑い、ふてぶてしい笑などは決して楽しい笑いではない。 アブラハム(創17:17)と妻サラ(創18:12)の笑いはどうだろう。二人が笑った理由は、高齢の二人に子供が生まれるはずはない、というこの世の経験からくる信念によるものである。しかも「密かな」嘲笑いで背信の笑いだ。人は自分たちの経験からくる情報の蓄積と分析によって物事を判断し、その判断によって幸福を得ようとする。今はコンピューターによって膨大な人間の経験という情報を蓄積し、そこから即座に結論を得ることが出来る時代である。

しかし、人はみな幸せになったのだろうか。いやむしろ、生産性の結果や成績が数値化され人がランクづけられ、そこで大多数の者は一喜一憂しながら汲々とした人生が強いられている。ノルマを達成できない者は見下され、おこぼれにありつくことでかろうじて自己を保つしかない。老いたサラが、今更世継ぎを産めるはずはないから「ひそかに笑った」のはしごく当然なのだ。私は、神は密かに笑ったサラやアブラハムを責めているのではないと思う。笑わなかったと嘘を突き通そうとする人間存在の哀れさを顕にし、そのような人間存在への神の憐れみの情の吐露だと思う。

アブラハムとサラは神の約束を嘲笑しただけではなかった。既に自分たちのやり方で、サラの女奴隷ハガルによってイシュマエルという世継ぎをつくっていたのだ(創16章)。そんな不遜きわまりない人間であっても、神は愛し祝福してくれている。世継ぎとして誕生した男の子の名はイサクだが、その意味は「私と笑い」(創21:6)。不信仰の極み限りない人間をそのまま受け入れ、約束を果たされる神が共にいて下さるところに、不遜な笑いしかできない私たちに、心のそこ底からの明るい笑への人生が備えられているということだろうか。

 

2018.11.25「先週の宣教要旨」

 

(ルカ 20:27-40)

サドカイ派の人々がやってきてイエスに質問します。7人の兄弟全員と順繰りに結婚をした女性は、復活したら誰の妻になるのか。復活信仰というのは乱暴に言ってしまえば来世への期待です。それは今生きている現実が苦しいことの裏返しとして、次の世ではこの世で苦しんだ報いがある。現実の世界に希望を見いだせない者にとっての最後の希望となっていたのです。

しかしサドカイ派は死者の復活を認めませんでした。それは、今生きて いる現実に少なからず満足していたからだと言えます。特権階級にあった彼らにとってこの世を生きることはそれほど不満がなかった。そんな彼らは復活を信じるファリサイ派の人々にこの質問を投げかけ、答えに窮する様子を見てあざ笑っていたのだと思われます。

目に見えない天使や、理性ではつかめない死者の復活を否定していたサドカイ派の物の見方は、今日にも通じる所があります。死者の復活など、いくら言葉で説明しても、理解してもらえないどころか、世間から奇異の目で見られてしまうでしょう。この世での生を終えた後、どうなるのかなんてわかりません。誰も見たことがないのですから、そんなあるのかないのかわからない次の世のことなど考えていられない。

私達の生涯には、口では言い尽くせないほどの労苦や挫折、恥や憤りがあります。けれども神様は、私達のすべてを知り尽くしておられます。死者の中からイエス様を復活させた神様は、労苦や挫折、恥や憤りなどを抱えて生きる私達を、空しいままでは終らせません。どんなに空しく思えることであっても、それを復活のイエス様と出会う糧とし、イエス様と共に生きていくという大きな恵みに変えてくださいます。私たちの労苦を意味のない、むなしいままで終わらせはしないのです。なぜなら、イエス様が私たちに示してくださっているのは、生きている者にどこまでも寄り添って、味方となられる愛の神だからです。

 

2018.12.9「中国ツアー報告1」

 

 2016年9月のアウシュビッツ見学の旅の際に、次は我が日本の大罪の跡地「南京」をと、私は強く三浦団長に要望したことが今回実った。全国から12名が参加。11月16日に関西組と関東組が上海の浦東国際空空港で合流し、旅は始まった。しかし、その冒頭で大ショックなニュースが告げられた。なんと南京の大虐殺記念館が12月12日まで工事のため閉館していると! 相当以前から分かっていただろうに・・・。もう帰りたいとも思ったが、もうここまで来ている。そこは口に出さすにじっとこらえた。

中国人ガイドの劉さんは長春でガイドと日本語の訓練を受けた42才の男性であった。彼曰く、代わりに南京に最近開設された、慰安婦記念館を紹介するというので、そこに期待をかけた。今回私は大きなハンディーを負っての参加となった。それは、出発前の14日に直径50センチ位の丸太を軽トラからおろす際に、左足の向脛内側を中頃からくるぶしまでこすってしまい、擦り傷と打撲を負ってしまっていたのだ。旅行の準備もまだ一切していない状況で、病院にいくこともできずそのまま出発となった。膨れあがった足の痛みを堪えながらの旅となった。ビア・ドロローサのごとき気分だったと言うとイエスさまにあ申し訳ないのだが! 

幸いにも骨に異常はなく化膿もなし。なんとか足かけ8日間を乗りきることができ神様に感謝! 17日(土)は上海博物館、豫園、ユダヤ難民記念館、魯迅記念館、内山書店旧趾、テレビ塔、と盛りだくさんの観光だった。しかし、私(私達)にとっては単なる物見遊山の観光ではない。日清戦争から始まる長い歴史における侵略や、民族蔑視、戦争における蛮行などへの謝罪と鎮魂の旅であったので、そのことを中心に報告させていただく。もちろん文字通りの隣国に一度も足を踏み入れたことのない私なので(韓国・台湾も)、その観点からも述べることになるだろう。また中国におけるキリスト教関係の歴史、キリスト教会の現状への関心も旅の目的にあった。今、我が国では憲法が限りなく危うい状況にあるのだが、この平和憲法を大切にしてこそ「戦争責任の告白」なのではないだろうか。

 

2018.12.16「中国ツアー報告2」

 

中国では宗教弾圧が厳しいことは、今年の夏前からの日本の報道でも知られている。現在国連でも中国の人権問題への懸念が高まっている。しかし、都市部でのキリスト教信者が激増していると聞き驚いた。11/18日に上海の公認教会で「上海国際礼拝堂」での礼拝に出た。4〜5百人入っていただろうか。世界中からのビジネスマン家族が集まっているのだろうと思ったが、外国人礼拝者は二階席にほんの数えるほどしか居なかった。参列者のほとんどが中国人であった。教会の案内書には、毎年300人が受洗するとある。都市部の中産階級の人々が多いそうだ。

政府が養成した司祭や牧師を受け入れない教会は地下に潜らざるを得ないのだ。政府は地下教会の破壊や閉鎖を相次いでしていると朝日新聞の社説で読んだ。そんな厳しい弾圧の中であっても、公認教会だけでなく、非公認教会でも爆発的に信者が増えていると、ツアーの中国人ガイド劉さんが言う。彼の妻の家族はみなクリスチャンだそうだ。

中国は貧富の格差は大きいとはいえ、巡った都市や村々に至るまで活気に満ち溢れていた。観光地は平日であるにも関わらず中国人の観光客で溢れていた。それにもかかわらず、危険を犯して教会へ人々が救いを求めるのは、社会全体が富み豊かになり、物が溢れても、人々の魂は乾き切っているのからだと思った。 家庭も、一人っ子政策(現在二人っ子)で子どもも自由につくれない。信教の自由はあっても制約が厳しい。徹底した監視管理社会で個人の信念や思想は自由に表現できない社会。自分らしく生きえないことへの苦痛や不安、そんな状態が、魂の乾きを覚えさせているのだろう。

日本も魂の渇きを覚えている人々は多いはずである。辺野古の埋め立て強行は、民意を踏みにじり地方自治を否定する暴挙である。国会での強行採決の数々も然り。反対勢力への嫌がらせや執拗なまでのヘイトスピーチ。マスコミも国民もこぞって、それら強権への「忖度」をして黙ってしまう。「マラナタ」主よ来たり給えと歌い祈らざるを得ないアドベントだ。

 

2018.12.23「中国ツアー報告3」-先週の宣教から-

 

メリー・クリスマス! クリスマスは単なる聖人の誕生日ではない。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」「この名は、『神は我々と共におられる』という意味である。」(マタイ1:23)とマタイの教会は証している。この救い主待望の歴史は古い。先週の礼拝の要約となるが、ゼファニヤというBC7世紀後半に南ユダで活躍した預言者がいた。バビロニア捕囚の民がペルシャによって解放され、故国に帰還するに当たって、彼は、何故戦争に破れ、故国が破壊され、捕囚の民となったのか?その意味を鋭く問うたのだ(ゼファニヤ書3:1〜5)。解放された民は、故国の滅亡と破壊と捕囚は、自分たちが主なる神に叛逆し、軍事力に頼った故に神の教育的罰としての敗北だと捕囚を位置付け、反省し懺悔した。故に故国帰還に向かうことが出来たのだ。奴隷生活から抜け出して、極めて困難な故国再建へと前進するためには、予言者の厳しい糾弾に応えることは、彼らが前進するためには必然なのであった。そして瓦礫の山と化したエルサレムで、まず第1に救い主の到来を待ち望むための神殿建設に着手したのであった。

この物語は過去における一民族の信仰の話ではない。今でも戦争による破壊と敗北の歴史的責任を徹底的に追求することへの普遍性を持っているからだ。我々日本国民はどうであったか。国際的裁きは受けたが、自国民が自らの戦争責任を問うことをしてきたのだろうか。むしろなんらの反省もしないばかりか、侵略や戦争そのものの持つ残虐な非人道的蛮行の数々も無かったかのごとくうそぶいている人々がなんと多いことか。

今回の中国旅行の目的は、過去における侵略の罪を懺悔し、犠牲者を慰霊する旅として位置付けたのも、ゼファニヤの、厳しい糾弾の言葉とともに、悔い改めた後の、神の素晴らしい祝福の約束(ゼファニヤ3:14〜15)を信じ待ち望む旅(アドベント)でもあったのだ。あなたのアドベントは? クリスマスは? 神様が共にいて下さって、どのような教育的指導を受けて前進しようとしているのかな?

 

2018.12.30「中国ツアー報告4 —希望の光を—」

 

2018年もいよいよ終盤となった。今年は北海道における大地震や台風の連発、豪雨による大災害が日本列島を覆った。7年前の3.11大震災と大津波、原発事故被災からの復興は着々と進められてはいるものの、復興から取り残されている方々や地域があることに心が痛む暮である。その上、政治・経済の数々の施策を始め、この社会の隅々まで、人権侵害の状況が大手を振るっていたのではないだろうか。しかし、そのような状況においても、23年前の1月17日に起こった阪神淡路大震災の復興から今なお取り残されている人々の支援活動が、今尚粘り強く続けられていること、また、現在の沖縄辺野古の国による強行埋め立て工事への沖縄県民の抵抗の姿は、暗い時代における飼い葉桶のキリストのような明るい希望の光に見える。

中国旅行の目的は南京大虐殺の現場を訪れて、我が国侵略戦争罪責への懺悔と慰霊であった。その南京大虐殺記念館は訪れた20日から12月12日まで工事のため休館であったことには残念だったが、革命政府の記念館となっている総統府や、最近開設された慰安婦記念館を訪れることによって、目的のかなりの部分をカバーできたことは幸いであった。ガイドの劉さん曰く、南京虐殺記念館のみならず南京を訪れる日本人はほとんどいないとの言葉に驚かされた。中国4大古都のひとつで中国の歴史の中心地であり、その遺構遺跡が豊富に保存されているのにもったいなことである。また有名な太平天国の乱(1851〜1864)ではキリスト教も大いに関係していたことを知った。中山陵には革命の父といわれた孫文(1866〜1925)の墓があって、今でも訪れる中国人は多い。彼は若き日香港で洗礼を受けていると聞いて親しみが湧いた。古都南京の夫子廟は明清代の風格ある繁華街にあって、この繁華街も含めてそう呼ばれているようだ。日中戦争で破壊されたが、1984年から5年かけて再建されたとのことだ。参加者からの要望で夕方から新淮河舫という遊覧船での約30分の昔ながらの建物の遊覧は幻想的ですばらしかった。

 

2019.1.6「明けましたおめでとうございます」

 

 新年おめでとうございます。1日は雲ひとつない青空にうっすら白い浅間山が清々しかった。この朝、この清々しい澄みきった空のような社会がいつくるのだろうと思いつつ新年の抱負をと思索するも、結局はぐうたらぐうたらの正月であった。

毎年そうなのだが、これといった抱負を一つも抱けず、何も変わらない自分を再確認するだけだが、元日の午後大量に届いた年賀状で、互いの平安と世の中の平和への祈りの数々の挨拶を浴びて、あゝ自分が生かされ、また世界平和への祈りの力の源がここにありと改めて気づかされるのであった。しかしこの世の現実には希望が見えない。例えば、日本では、昨年暮れに強行採決された国家予算は、膨大な軍事費ばかりが目につき、これまた膨大に膨れ上がる借金と増税予算だ。原発の廃炉に伴う経費と時間はすべて国民負担。その上30〜40年も時間がかかり実際の経費もどれだけ膨らむか分からないのと報道もあり。世界の難民問題や、英国のEU脱退問題も世界平和にとって鍵となる事態だけに大きな不安が募る。

巨大経済と武力に支えられる米国・トランプ政権の一国至上主義は世界を分断するだけであるがみんなほっかぶり、日本はどこまで盲従するのか。昨今急速に国力を伸ばし、トランプ政権を脅かしているのが中華人民共和国。その国への旅の報告なのだが、毎回最後にちょっとだけになり申し訳ない。その栄枯衰退の歴史は日本人である我々にも密接な関係を持っていることを改めて知らされる旅であった。20日は南京から隣の揚州にバスで入り、南北朝宋代に創建されたという「大明寺」境内の諸建造物を見学。名僧の「鑑真(ガンジン)記念堂」は日本の唐招提寺金堂を参考にした建物、鑑真は揚州出身の名僧。奈良時代日本へ帰化し、「律宗」の開祖。「律宗」とは、唐代に道宣が成立した戒律の研究と実践を行う仏教の一派。鑑真像は唐招提寺に安置され国宝に指定されているそうだ。他、壮大な9層棲霊塔など歴史をひもどきながらの見学はさながら遊学の気分を満喫。昼からは揚子江を渡り鎮江に入った。(続く)

 

2019.1.13「中国のツアー報告6—福音の種—」

 

ここまでの中国の旅のまとめは、本日お配りしている「輝く9条」の裏面に掲載されているので参考にされたし。

先週は特にツアー報告とは書かなかったが、最後の12行ほど書いたので、今回は報告6とさせてもらった。旅の6日目の11月21日(水)の鎮江(ゼンアン)は南京から上海に向かって約60kmの長江沿岸の町。春秋時代(B.C.770‾221)呉国の城が建てられ、三国時代南京に都が移される前、一時期都とされた町。隋の煬帝による北京と杭州を結ぶ運河が有名で風光明媚な町だ。当日は雨天の1日で、予定していた博物館などパスして、パール・バック記念館を中心に訪れた。彼女の両親は南長老派の宣教師で、彼女はウエスト・バージニア州生れ。生後3ケ月で鎮江に渡る。大学には故国で通い、1914年に今度は自身が宣教師として中国へ。1917年バックと結婚。1927年の南京事件で、一時長崎の雲仙に避難。その後中国に戻り執筆活動に入り、1931年に「大地」を発表。1934年中国を去り、再び戻ることはなかったそうだ(添乗員吉見兄の資料から)。

記念館は新市街地の高層ビルが背景に見えるが、小高い緑豊かで、静かな丘の上に位置する。彼女の家は洋館で、記念館はその隣。庭には一家の銅像などがあった。彼女の両親や彼女自身の宣教活動についてはほとんど資料が見当たらなかったのが残念であったが、今日の弾圧下でもクリスチャンが増え続けているということは、上海の内山書店の内山完造(1885〜1959)などもそうだが、彼らが撒いた福音の種が確実に芽を出し根を張り続けて来たのではないかと、思いを巡らした。

 

2019.1.20「中国のツアー報告7—最終回—」

 

いよいよ最終回だ。11月21日パールバック記念館見学後新幹線で約250kmの蘇州へ入った。午前中に虎丘と寒山寺を見学して、バスで上海に。昼食は上海のレストランでとり、午後は空港へ向い16:55発中国東方航空で成田に向かった。「虎丘」は越王に敗れた呉王闔閭(こうりょ)の葬られた小高い丘。葬儀の三日後に墓の上に白虎がうずくまっていたという伝説による名称。丘に立つ雲巌寺塔は961年創建の蘇州最古の塔で、高さ47.7mだが、3度59分傾いており、東洋の斜塔として名高いそうだ。「寒山寺」は京杭運河公園の一角の静かな場所に立つ禅宗寺院。南北朝梁の天監年間(502〜519)の創建。唐の貞観年間(627〜649)に寒山と捨得が住職となった折に寒山と改名したとのこと。

この日私はお腹を壊して朝からピーピー、吉見さんから正露丸を貰ってなんとかしのいでいたが、トイレばかり気になっていて写真は一枚も撮れていなかった。上海空港ではかなりの待ち時間があり、この旅行中で初めてゆっくりとロビーのコンビニで品定めをしたり、椅子で思い思いにくつろいでいる全ての参加者の顔写真を撮ったり、中国人の旅行者との出会いなど、ゆったりとした気分にしばし浸ることができた。今回初めて隣国中国のほんの一部だが訪れることができたことは、思っていた以上の天の祝福を与えられたと感じている。当初の目的は82年前(1937年12月)の日本軍の侵略戦争における蛮行の地にての謝罪と慰霊であったが、図らずも中国の春秋時代(770〜221)からの悠久の歴史に触れ包まれるという恵みであった。パレスチナ(イスラエル)旅行でもそうだったが、今回の中国の古都巡りで、人々の中に古代と現代とが共存している素晴らしさが印象的であった。

7日間ガイドをしてくれた劉さんも、そういった悠久の歴史に包まれた歴史観によって現代に生かされている、そのような大らかさに生かされていると感じたのであるが、それだけに中国の共産党一党支配の現政権がどこか浮いてしまっているような感じであった。我が国の現政権も人ごとではない浮き様だと思うのだが。

 

2019.1.27「新しい歌を主に向かって歌え」

 

「新しい歌を主に向かって歌え」という詩編の聖句(96:1、97:1)は、クリスマス・新年によく挨拶の言葉として使用されるが、礼拝での賛美歌はどちらかというと、古い歌の選曲が喜ばれる。讃美歌21になってから、新しく導入された賛美歌や古い賛美歌に手を入れたものが多くあるが、今まで歌ったことのない賛美歌はあまり人気がないのである。私は自分の「宣教の言葉」に最も相応しいものを内容(歌詩)によって選ぶのだが、新しい賛美歌でも歌詞よりメロディーで好まれることが多いうようである。でも詩編の「新しい歌を主に向かって歌え」は、そのような音楽的魅力よりも、「主は驚くべき御業を成し遂げられた」から歌おうじゃないかと言っている。その場合の歌とは、必ずしもドレミファソといった音楽的なものではなく、神の御業への驚嘆と感謝の詩(うた)といったニュアンスが伴っていないと意味がないと思うのだ。

私も案外自分好みの古い歌ばかり選んで歌う不信仰者なのだ。先週21日に佐久平のイオンで昼食をとったあと、知的障がい者の「ひだまり作品展」を鑑賞した。絵画中心であったが、県下のほとんどの施設、梶浦三優子姉の勤務する治育園からも数名の出展があった。どれも素晴らしく見事に自己表現されている作品ばかりで生き生きとしていて、一つ一つの作品の前で立ち止まって見入ってしまうのであった。私は、そこに驚くべき主の御業が成し遂げられていて、その御業に触れて感動を与えられたのだと思う。これらの作品は「新しい歌を主に向かって」の歌声が響き渡っていたように感じたので、アンケートに、もっと大々的な展示会開催を要望した。

「新しい歌」は、良い条件が整ったところではなくして、負の条件に主の御腕が確かに働くから、驚きであり感動であり、喜びと感謝に満たされるのだと改めて思わされた。だから、どうしょうもないと思われるいやな自分自身やこの世の状態の中に、いやそうであればあるほど、そこが、主の「御業」がなされる場所と信じて「新しい歌」を歌う者となりたい。

 

2019.2.3「平和への希望の足跡が」

 

フィリピンのミンダナオから毎日のように私のパソコンに「ミンダナオ子ども図書館たより」が届く。主催者松居友からのものだ。彼は20年前ミンダナオのイスラム地域で戦争難民との出会いによって、平和構築のために現地に入り込み活動を始め、17年前に「ミンダナオ子ども図書館(MCL)」を立ち上げたのだ。MCLはフィリッピンの現地NGO法人で、絵本の読み聞かせ、医療支援、就学支援、子どもシェルター、難民救援活動、植林活動などをしている。

彼の父親は松居直で、児童文学者であり、福音館の初代編集長でもあった。直さんは、私の先輩牧師でここ追分教会でも宣教や父の葬式などもお世話になった佐伯幸雄牧師の同志社での同級生でもあり、私が京都教区時代、保育連盟関西部会の研修会を同志社で開催した時にも講師としてご奉仕いただいた方。 私がMCLの支援者となった経緯は私自身ほとんど覚えていないのだが、ここ追分にきて以来ずっとなので、多分佐伯牧師や直さんの線から引き込まれたのだと思う。毎日のように発信されてくる「MCLたより」による活動報告に接していると、毎回「平和構築」への希望に満たされるのだ。それは、いつまで続くのだという、果てしない紛争の現場での持続的活動であるということが第一の理由であり、第二のことは、世界中の諸機関の理解と粘り強い支援という連帯があることだ。それは私には奇跡的に思えると同時に、その中には日本のODA支援も大きな役割を果たしているということにも気付く。

ODAのあり方云々の議論もあるのだが、J–Bard やJAICA、国際的な機関や現地NGOとの連携のもとで、特に日本政府の戦闘地域への学校、保育施設などの建設支援への、現地での評価が上がっているという。このような平和構築への地道な努力は、もっともっと報道され、政府も宣伝し、世界中で戦争をなくすための祈りと努力を惜しみなくしていることを明らかにしてほしいものである。そうすれば、沖縄の基地拡大も、大量の武器購入も抑えざるを得なくなるのと思うのは楽観的すぎるのだろうか。

 

2019.2.10「子供と天の国」

 

野田市の小学4年生、栗原心愛(みあ)さんが、両親の虐待で死亡した事件が毎日報道されている。これを受けて安倍首相は関係閣僚会議を招集して、「子ども命を守ることを最優先に、あらゆる手段を尽くして虐待の根絶に取り組め」と指示したとのことである。早速全国規模で実態調査などの取り組みを始めたようだが、私はまた言葉だけで結局対症療法的なことで終わってしまうのではないかと思い心が重い。日本社会の人権意識の低さは、社会の要人たちの言動にそのことがよく表出している通りである。例えば、1989年国連総会で「児童の権利に関する条約」が採択され、日本は1994に批准しているが、この条約を読んだことがあるかと私の周囲の人々に聞いてもほとんどがNOである。条約の存在そのものを知らない人も多い。まったく社会に浸透していなのだ。教育や福祉の現場ではどうなのだろうか。指導者や保護者たちにどのようにこの条約に基づく人権教育が施されているのか、疑問となる事件があとをたたない。実はこの条約の前に立つと、私も数々の条約違反している自分に気づかされ心おののくばかりだ。

また、政府自民党は2012年4月党決定として「憲法改正草案」を出している。それによると、憲法の前提としての前文の改定案では、平和主義や自由主義の理念が後退して、国家主義化の匂いがプンプンとするものになっている。また、平和主義の具体的条項として9条があるが、これもなし崩すような、国防軍の設置や、本来の立憲主義を否定するような国家権力への縛りよりも国民の義務の強調が目立つものとなっている。また、数の論理で「集団的自衛権」など、平和憲法をなし崩し的に骨抜きにしてきたし、弱者切り捨ての施策の姿勢は依然と深化していることからしても「子どもの命を守ることを最優先」との掛け声は虚しく響く。「一人の子どもを中心に置く」ところに天の国があると共観福音書が口をそろえて言っている。主の教会とそれに連なる者はみな、この社会がそうであるように選ばれ、召され、生かされていることを強く自覚すべき時であろう。

 

2019.2.17「思い悩み、腹立て、裁く自分が」

 

世も末か! 昨日朝のニュースだ。米国のトランプ大統領が、メキシコ国境に「壁」を建設するために国家非常事態宣言を発令すると表明したこと。さらに、安倍首相がトランプ大統領をノーベル平和賞に推薦し、大統領がその推薦状の内容に大喜びしたと言うのだ! あたかも日本国民全体が大統領を絶賛しているかと思われてしまうような、安倍首相のトランプ大統領に擦り寄る姿はほんとうに恥かしい。本当に北朝鮮が非核化へと向い、西側諸国との平和路線に向かうのだろうか? それならむしろ喜ばしいことなのだが、安倍首相の推薦は、むしろ米国から日本が大量に兵器を爆買いするためのカモフラージュであるということは、一介の市民であるわたしにも容易に推測がつくパフォーマンスだと思う。それでなくとも日本の国政における軍事最優先のなりふり構わない悪政ぶりは眼に余り、手の付けようがないほどである。

メディアもいつのまにか厳しい言論統制下にある如くに口をつむり、さしさわりのないゴシップの数々の発信にうつつを抜かしているとしか思えない。そんな私たちに、そんなにカッカ、カッカしなさんなと主の御言葉が突き刺さる。「腹を立ててはならない」「敵を愛しなさい」「思い悩むな」「人を裁くな」と。今、金曜日の聖書を学ぶ会では、マタイ福音書5章からの有名な「山上の説教」の中の主の教えを学んでいるのだが、集う一同はとまどうばかりである。

先週の聖研では7章1〜6の「人を裁くな」であった。マタイの主眼は、がちがちの律法主義者への警告だ。マタイの主は律法主義を全否定するのではなくて、むしろ律法主義者へその律法主義を徹底的に全うしなさいという勧告なのだという。しかし、結局は誰も全うできないことを知ることになり、人を赦すことの出来るお方は神のみであると知ると言うのである。常に神にのみ目と耳と心を向けて行くことなのだと教えられ、スタチックな信仰生活かと思いきや、これが意外や意外、イエス・キリストの十字架への道行きに従う勇気と喜びにつながるダイナミックな信仰生活なのであった。

 

2019.2.24「雑感・上か下か」

 

私たちのだれもが目指すこところは、いつの時代どこでも「上」であると思う。「上」を目指すことは、より大きくなること、より多く、より早くという価値観に支配されていて、だれもが疑わず同じ方向を向いてきたと思う。私も例外ではない。歴史を直視すると、巨大化すればする程自分たちの首を締め、やがては崩壊してきた事を人はよく知っているが、一向に改まらないのはどうしてなのか。聖書の世界でも旧約聖書の時代には、アダムとイブに「産めよ、増えよ、地に満ちて〜」(創1:28)と祝福し、90歳のアブラハムに、星の数ほどの子孫を与えると約束(創15:5)をした。上昇志向の歴史が旧約聖書ではないだろうか。以来神の民イスラエル(創32:29)は、王国時代の繁栄はあったものの、それもつかの間、滅亡と捕囚の憂き目にあってきた。

そういった上へ上への価値観とは真逆の指針を示したのがイエスであった。下へ下へと人々の目を向けさせたのだ。上座を尊ぶ上昇志向から下座に甘んじるところに天の国の現実のあることを新しい福音として発信したのだ(マコ10:43、44等)。確かに、マンモスは滅び、バビロンやエジプト、ローマ帝国も滅びている。現代でも、巨大化しすぎた企業は倒れるしかないことは自明のこととなっているではないか。では、目を上に向けて天を仰ぐ信仰者の姿勢は間違っているのであろうか。そうではない、主イエスはむしろ天を仰ぐその姿勢を正そうとされたのだと思う。つまり、本当に、真剣に天を仰ぐなら、神というとてつもない、高さ、広さ、大きさの前に、限りなく小さな己を知らされる。そのように存在も危うい小さき私たちに、あのアダムとイブへの「産めよ、増えよ、地に満ちよ」との神の祝福は、絶大な生への希望とエネルギーを与えてくれるのだ。経済力の巨大化、核エネルギー依存、軍事力の巨大化の愚を、聖書の民イスラエルはあますところなく、現代の私たちに語り伝えてくれているのではないだろうか。それとともに、小さい、ビリっ子の自分にできる、ほんの一つの事がなければ、社会全体を動かすことはできないという事か。