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389-0115 長野県北佐久郡軽井沢町追分51-37 TEL 0267-46-3312 FAX 0267-46-2296  郵振 00500-7-32001

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牧師館へようこそ

<牧師プロフィール>

稲垣壬午(いながき・じんご)

1942年東京都生まれ。同志社大学大学院神学研究科(新約聖書神学専攻)卒業後、倉敷教会、琴浦教会、緑野教会、大津教会、翠ヶ丘教会の牧会を経て、2002年4月より軽井沢追分教会に着任。以後、当教会の宗教法人設立に尽力し、組織整備や地域伝道に力を注いでいる。

常に社会における弱者に視点を置いた活動を続けており、当教会着任後もカルト宗教脱会者を支援するNPOの運営にも携るなど、狭義の「教会」内にとどまらない活動を行っている。

また、地域の牧師や住民とともに「軽井沢9条の会」を立ち上げ、憲法九条の改憲の動きに強く反対し、平和を希求する立場を貫いている。顔写真では一見穏やかそうに見えるが、権力に対する反骨精神は並々ならぬものがある。礼拝堂の中の背広姿より作業服と長靴で軽トラを運転する姿が様になる牧師。
 

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天声JINGO アーカイヴ

▶2009年度4月〜  ▶2009年度10月〜  ▶2010年度4月〜  ▶2010年度10月〜 2011年4月〜

 

2011.9.25「宗教改革者足跡の旅報告 6」

 オーストリアのハイジの里に代表されるチロル地方の牧歌的山岳地帯を満喫しつつ、オーストリアとスイスの国境にある人口3万 1千人(面積160㎢)の小国リヒテンシュタインを通り、スイスへ。スイスの宗教改革者といえば、ツヴィングリ、フルドリヒ(1481〜1531)とジャン・カルヴァン(1509〜1564)である。

 今回のツアーでのツヴィングリ先生は三浦修(埼玉和光教会)牧師。彼のレポートからの報告を要約する。ツヴィングリの信仰(思想)の第一は人文主義の影響を色濃く持っていた。人文主義とは「教会の権威や神中心の世界観から人間を解放し、ギリシャ・ローマの言語・文学・芸術の研究を通じて普遍的な教養を身につけ、人間の尊厳を確立することを目ざす運動。」(広辞苑)この立場の影響を背景にもちつつ、聖書のみの原理に到達。特にスイスの傭兵を問題とし、法王庁の頽廃を批判しチューリッヒの福音主義化に成功した。しかしドイツのルター派との同盟はならなかった。だが、ツヴィングリと政治との癒着など非福音的と批判された。彼はスイスの内戦、31年のカペル戦役で戦死した。彼の運動は未完となったが、やがてカルヴァンに引き継がれてルター派とは別の流れになって行った。

 カルヴァンは、川口教会の本間牧師がなりかわって講義された。彼の講義のレジメを要約する。カルヴァンはフランス出身、法学を修め、人文主義を身に付け、ルターの影響も受けてフランスでの宗教改革運動に加わるが、迫害を受けスイスのバーゼルに逃れた。やがてジュネーブの改革派市民に招かれ宗教改革運動に参加した。そして厳格な教会の改革を実現し、信仰にもとづく政府をうち立てて指導者として大きな役割を果たした。しかし、ルターやツヴィングリが国家教会体制を樹立したのに対して、国家と教会の分離をはかり、常に都市当局と緊張、対立関係を維持した。またルター派以上に反カトリック的で非妥協的あった。彼の神学の特徴は「予定説」。信仰義認説をとったが、救いはあらかじめ神によって予定されているから人はひたすら規律正しい生活と仕事に励み、神の栄光をたたえるのみと教えた。改革派は位階秩序や聖職者の特権を認めない万人祭司主義を採用したが、カルヴァンは信徒の中から信仰の厚い者を選び、牧師とする長老主義をとった。結果、市民は厳しい公共道徳を求められ、生活の隅々にまで厳格な規律が求められた。

 次回はルター派のコラールとカルヴァンの詩篇歌についてのべ、長きにわたった報告を終えたい。

 

2011.10.2「宗教改革者足跡の旅報告 7」

 宗教改革者の足跡の旅は、ルター、ツヴィングリー、カルバンの3人にしぼっての見学と学びのときであった。先週の報告はツヴィングリーとカルバンで、面白くもない報告になってしまったが、いずれの改革者たちにせよ、出発点は教会(ローマカトリック)の聖書的矛盾や、権威主義、堕落などに対する批判であったことだ。結果としてプロテスタント諸派が産まれたが、それぞれのあり方はそのまま現在の我々の教会にあてはまるものではないが、少なくとも�信仰によってのみ�万人祭司論は、宗教改革当初宗教改革者たちの共通した出発点であったことは間違いないだろうことが確認された旅でもあった。

 ルターのとった政教一致の教会体制は今日では通用しない。ツヴィングリーのように正義のためなら戦争も辞さないという暴力肯定も組みしがたい。またカルバンのように、教職者の権威化と信徒への厳しい規律も、教会の権威主義と律法主義化への誘惑に容易に陥る危険性に満ちたものに思えたのは私だけだろうか。

 現在日本キリスト教団の指導体制は、教会の権威を強化する権威主義化と、安易に教憲教規を盾に、異なった意見や行動を切り捨て、教職や信徒の資格剥奪がなされているように思えてならない。

 最後に宗教改革の讃美歌について簡単に述べておく。

 私はツアーの聖日礼拝をまかされた。宣教にルターの讃美歌「みことばもて主よ」(21-50番)を引き合いにさせてもらった。この最初の一番には、「教皇とトルコ人の殺戮を阻止して下さい」という言葉があった。そしてこの讃美歌が1543年の讃美歌集に収録された時には、「キリストとその教会にとっての二つの原初の敵(悪魔)、すなわち教皇とトルコ人に対抗して歌う子どもたちのための讃美歌」という題がつけられていた。ここにはイスラム教徒へのルターの偏見があり、多くの批判があって後には言い換えられたが、十字軍時代のイスラムにとってはキリスト教が悪魔と見られていたことだろう。これはルター自身も自己中心的要素を多分にもっていたことの左証となる。信仰義認ならぬ自己義認にならぬよう心したいと宣べさせてもらった。

 カルバンも讃美歌は重用視して、詩篇歌を採用した。これは詩編の言葉そのものなので、現代人の恣意的要素ははぶかれるが、まだ日本の教会での礼拝での採用度は低いようだ。讃美歌21にも113番〜172番まで収録されている。

 以上をもって8回におよんだ旅の報告を終えさせていただく。

 

2011.10.9「安全と平和」

 10月1日(土)軽井沢9条の会の例会で、柏崎刈羽原発を見学に行った。刈羽9条の会の代表・本間精一さんが事前から丁寧に段取りをつけて下さって、柏崎インター出口では歓迎のプラカードをもって迎えて下さった。その足で先ずは柏崎地域振興局の施設で、柏崎刈羽原発反対地元三団体事務局長の斉藤さんから原発につき事前学習を受けました。2007年の中越地震による7基すべての停止と、損傷状況は聞く程恐ろしい状況だったこと。それにもかかわらず運転再開。3.11の福島第一原発で明らかな安全神話崩壊で、柏崎刈羽原発の安全対策も色あせてしまったこと。しかし刈羽村では6,000人の人口のうち半数近くが東電関連の仕事をしているので地元での反対運動の難しさを訴えておられた。

 昼食後いよいよ本命の原発へ。柏崎市と刈羽村の双方に敷地があるので(東京ドーム90個分。420万㎢)この名称がついたということも初めて知った。日本海が目の前に開け、佐渡島も遠望できる。国立公園にでもして豊かな自然を保ってもらいたい場所だ。見学にはあらかじめ名前住所生年月日などの申請が求められ、入館には身分証明書が求められる物々しさだ。原発そのものの建屋には入れず、自動車で若い女性の案内人が施設内を約30分かけて周り説明してくれた。その後資料館(5階建て)で見学。原発の仕組みなど模型も贅沢に展示説明されていた。総じて言うと、この原発は7基あり世界一大きく、発電量も世界一を誇り、いかに安全対策がなされているか、そして他の火力や水力などより、抜群の低コストかが強調されていた。思わず安全神話の信仰へと引きづり込まれそうになるような、いたれりつくせりの丁寧で贅沢な説明であった。多分事前の学習がなければ、多くの人々は、3.11の事故にも関わらず、依然として安全神話の信奉者となってしまうのではないかと思う程だ。

 「身分の低い者から高いものに至るまで 皆、利をむさぼり 予言者から祭司に至るまで皆、欺く。彼らは、わが民の破滅を手軽に治療して 平和がないのに、『平和、平和』と言う。(エレミヤ書6:13〜14)

まさにBC580年頃の予言者エレミヤの預言は、現在の原子力に心を奪われた者たちへの嘆きとして充分伝わる預言ではないだろうか。人間は2,500年を経てもまだ己の利に囚われ続けているのだ。どんなに大きな破滅を経験しても。

 主の十字架の恵みは、無条件の赦しだが、人はどれだけ感謝しているか。あまりにも甘えきっているとしか思えない。主の十字架の恵みと赦しの中には、同時に主が負った死の苦しみを分ち合うという半面があることを忘れてはならない。主の晩餐(聖餐)に与る恵みは、「自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(マルコ8:34)という面を伴ってはじめて知ることの出来る至福へと至るのだ。