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389-0115 長野県北佐久郡軽井沢町追分51-37 TEL・FAX 0267-46-3312 郵便振替 00500-7-32001

牧師館へようこそ

<牧師プロフィール>

稲垣壬午(いながき・じんご)

1942年東京都生まれ。同志社大学大学院神学研究科(新約聖書神学専攻)卒業後、倉敷教会、琴浦教会、緑野教会、大津教会、翠ヶ丘教会の牧会を経て、2002年4月より軽井沢追分教会に着任。以後、当教会の宗教法人設立に尽力し、組織整備や地域伝道に力を注いでいる。

常に社会における弱者に視点を置いた活動を続けており、当教会着任後もカルト宗教脱会者を支援するNPOの運営にも携るなど、狭義の「教会」内にとどまらない活動を行っている。

また、地域の牧師や住民とともに「軽井沢9条の会」を立ち上げ、憲法九条の改憲の動きに強く反対し、平和を希求する立場を貫いている。顔写真では一見穏やかそうに見えるが、権力に対する反骨精神は並々ならぬものがある。礼拝堂の中の背広姿より作業服と長靴で軽トラを運転する姿が様になる牧師。

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e-mail : jingo@tama.net

天声JINGO アーカイヴ

▶2009年4月〜   ▶2009年10月〜   ▶2010年4月〜  ▶2010年10月〜  ▶2011年4月〜  ▶2011年10月〜

▶2012年4月〜   ▶2012年10月〜   ▶2013年4月〜  ▶2013年10月〜  ▶2014年4月〜  ▶2014年10月〜

▶2015年4月〜   ▶2015年10月〜   ▶2016年4月〜  ▶2016年10月〜  ▶2017年4月〜  ▶2017年10月〜

 

2017.11.19「収穫の主を」

 神奈川県座間市のアパートで9人の15歳〜26歳の女性の遺体が見つかった事件に心が痛む。加害者の異常な行動も理解し難いのだが、それよりも気になるのは、いずれの被害者も自殺願望の持ち主だったことと、その相談相手がインターネット上のツイッターというシステムで、見ず知らずの相手であったという点である。そこに深刻な社会的な問題が潜んでいると思う。

 殺された9人それぞれの自殺願望の背景は、これから詳しくマスコミや、いわゆる専門家?という人々が解明していくことだろうが、将来への理想と希望に満ち溢れているはずの彼女らを絶望の淵においやっているこの世の「闇」を徹底的に解明してほしいものである。

 それにしても今の我々の社会の「人権意識」の欠如というか低下というか、そのような憂うべき現象があちらこちらに見受けられ心配でならない。例えば様々ないじめ問題は論じられ対策もほどこされているが、一向に改善しない。他にも人権が無視されるようなところには、必ず弱い立場の人々の「命」が関わってくることは論をまたないだろう。それだけに、それらの人々が逃げ込めるところや、寄り添う人や機関が身近にないということは、なんと冷たい世の中だろうと思う。そして、実はわたしたちキリスト教会はその役目を真っ先に果たさねばならいのだが、そのように機能しているだろうかと自省が促される。聖書では、弱く、小さく、貧しくされている人々に寄り添い癒される方としてイエス様を救い主として信じているのだから、その主のもとに、癒しを求めている人々を誘う使命が教会にあることをもっともっと強くもたねばと思う。

 来週の聖日は収穫感謝日だ。私たちの教会では特別な行事は計画していないが、「また、群集が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。そこで、弟子たちに言われた。『収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。』(マタイ9:36-38)という主イエス・キリストの言葉によく聴き従いたい。

 

2017.11.26「子供と天国」

 「子供の聖書の学び」を毎週水曜日午後4時半から開催している。先週はマタイによる福音書18章1節からだった。 冒頭で「天の国で一番偉い者はだれか」との弟子たちの問いにイエスが答えた場面である。その答えは「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることは出来ない。自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ」(18:3〜4)であった。 Mちゃんは嬉しそうな顔をしながらもなにかとまどいがちであった。私はついでに、お母さんに何だかんだと文句をいわれた時には、「子供が天の国で一番偉いのだ」とイエス様が言っているよと言ってみな、と薦めたのであった。

 さて、「自分を低くして」という生き方はわかるような気がするのだが、「子供のようになる」とはどういうことなのか。今の日本の社会では考えにくいかもしれないが、イエスが「子供」といった場合、徹底した人の弱さ、未熟さ、貧しさに置かれている人々、無人権状態にある人々をさすと考えられるからだ。「人権」という観点から見るとどうだろう。「児童の権利に関する条約」が1989年11月20日に第44回国連総会において採択され、日本は1990年9月21日にこの条約に署名し、1994年4月22日に批准した。しかし、いじめや体罰等々の問題にさらされている現実の前で、この条約がどれだけ教育現場、家庭や社会に浸透し実践されているのか疑問を感じる。私たちが、この条約文と照らし合わせて自己吟味してみれば、自分自身の人権意識の程度を計り知ることができると思う。そこには、子供の生命の保護、体罰の徹底した禁止、いじめや校内暴力などからの保護などは勿論のこと、意見表明、表現の自由、思想良心及び宗教の自由、結社及び集会の自由などの権利、そして干渉又は攻撃に対する保護などに関する54条に渡る項目がある。この「子供の権利条約」は我が国の現憲法における一連の人権・権利条項に沿っていると思う。そのように子供たちを受け入れることは主イエスを受け入れることであり、そこに天の国があると主イエスは教えられているのだ。